明治32年の箒川鉄道脱線転落事故について、ご相談いただいた3つの観点(以下①~③)から資料をご紹介します。
①事故前後の栃木県下又は北関東一帯の気象情報(特に風速)
②日本鉄道の台風下での運行マニュアル
③矢板駅を1時間遅れで発車した理由
なお、ひとつの資料から複数の事項を確認できた資料もありました。
それぞれの資料から確認した内容について、①~③の番号でお知らせします。
資料を選択される際の目安としてください。
また、②運行マニュアルは今回の調査で確認することができませんでした。
1.図書
・『栃木県の気象 明治24年-昭和35年(1891-1960)』(宇都宮地方気象台/編 気象協会関東中部本部 1963)
①
明治32年箒川鉄橋列車転覆事故事件について、序文に当日の気象状況について記述があります。
「第Ⅱ編 累年気象表」「宇都宮地方気象台の部」に「日平均気温」と「日降水量」項があり、明治32年10月7日の「平均気温」(p.82)、「平均降水量」(p.106)が確認できます。なお、風速について「月平均風速」(p.27)、「月最大風速」(p.28-29)、「月最大瞬間風速」(p.30-31)、「暴風日数」(p.45)の項がありますが、当日7日の数値は確認できませんでした。
・『栃木県大百科事典』(栃木県大百科事典刊行会/編、発行 1980)
①
p.641 「ほうきがわてっきょう 箒川鉄橋」の項があり、推定瞬間最大風速について記述があります。
・『明治ニュース事典 6』(明治ニュース事典編纂委員会/編 毎日コミュニケーションズ 1985)
p.429-432 「台風・日本鉄道列車転覆」の項があります。
①③
乗客の体験談が書かれていますが、列車が遅れた理由について記述はありません。
②
「列車連結の欠陥と速度の出し過ぎが原因〔明治32年10月10日 時事〕」(p.431-432)と「転覆は天災、起訴せずと山川検事正語る〔明治32年10月13日 時事〕」(p.432)に日本鉄道について記述があります。
・『災害』(荒川秀俊,宇佐美竜夫/著 近藤出版社 1985)
p.112-113 「三 風水害と飢饉」に「42 明治三十二年の暴風雨と箒川列車転覆事故」の項があります。
①
明治32年10月5日に上陸し、7日に関東地方を通過した暴風雨(台風)について記述があります。
③
発車時間について、午前11時に上野を発ち午後2時40分頃宇都宮に到着、3時頃宇都宮発車したとあります。また、矢板駅は午後4時過ぎの発車とあります。遅延の理由について記述はありません。
・『ふるさと矢板のあゆみ』(矢板市教育委員会/編 矢板市 1989)
p.461-463 「第三章 第一次世界大戦の前後」「第一節 矢板の大火と列車転落」に「二 箒川鉄橋の列車転覆事故」の項があります。
①
関東地方における天候について書かれています。
②
当時の日本鉄道の運行に関して記述があります。
③
電車が宇都宮駅を発車した時間について書かれていますが、理由についての記述はありません。
・『下野史談 第8巻第1号~第6号』(田代黒瀧/編 下野史談会 1931)
※第8巻第1号~第6号の合冊
①
第8巻第5号に「箒川鐵橋汽車顚覆の始末」(下野史談會主幹 田代黒瀧)の項(p.1-30)があります。「顚覆の状況」(p.1-2)には当時の気象状況について「…(略)…鐵橋にさしかゝるや、猛烈なる風雨…(略)…」とあります。
・『下野史談 第21号~第26号』(下野史談会 1973)
※第21号~第26号の合冊
①
『下野史談 箒川列車転落事故75年特別号』(昭和48年10月)
p.7-9 「当時の気象状況」の項があり、『栃木県の気象 明治24年-昭和35年(1891-1960)』の記録に続けて、現場付近の風速についての推測が書かれています。また、10月5日から「事故当日前後の気温と降雨量」が記載されています。
『下野史談』(昭和49年2月)
p.23 資料巻頭に掲載された、事故を報じる明治32年10月8日付東京日日新聞についての解説があります。
・『下野史談 臨時増刊 箒川列車転落事故90年特集』(下野史談会 1989)
①
p.1-13 「箒川列車転落事故について」に「当時の気象状況」(p.11-13)の項があります。
『下野史談 箒川列車転落事故75年特別号』(昭和48年10月)p.7-9 「当時の気象状況」の項とほぼ同じ内容の記述があります。
p.17-28 「箒川遭難実記」(田嶋薫)の項に、「時維明治三十二年十月七日、「ヒリッピン」群島の方向に起りたる低気圧は、本邦に襲来して、我塩那地方の如きは朝来よりの降雨車軸ををゆるがすが如く、午後三時頃に至って、西方の風吹き起り、刻一刻激しさ益々つのり、疾風怒号するところとなり、…(略)…」とあります。
③
次の項に列車が遅れたのと記述は見られますが、詳細な理由は確認できませんでした。
p.13-17 「私の遭難体験記」(田代善良記)
p.17-28 「箒川遭難実記」(田嶋薫)
※「箒川遭難実記」(田嶋薫)は『下野史談 40号』(田代博/編 下野史談会 1978)他にも掲載されています。『下野史談』の詳細につきましては「3.その他」をご参照ください。
・『事故の鉄道史 続』(佐々木富泰,網谷りょういち/著 日本経済評論社 1995)
p.1-22 「第1話 汽車の転落大事件 箒川橋梁での客車転落事故」の項があります。
①③
「1 事故の発生」(p.1-6)項に、宇都宮駅や矢板駅における発着時間の遅れとその理由について記述があります。また、気象状況について記述があり(p.5-6)、高知、和歌山、津、横須賀、布良、銚子、宇都宮、福島の最低気圧と最大風速が確認できます。
②
「3 日鉄本社の対応」(p.10-13)事故後の対応について記述があります。
「6 その後」(p.16-22)事故についての国会答弁と裁判の記述があります。
2.新聞
当館所蔵の新聞マイクロフィルムや、契約する新聞記事データベースにて、事故当時の新聞記事をお探ししたところ、以下の記事を確認しました。
下野新聞(マイクロフィルム)
・1899(明治32)年10月7日 2面
①
「天気豫報(自十月六日午後六時 至十月七日午後六時)」から、寒暖と宇都宮の天気が確認できます。
ヨミダス歴史館(読売新聞データベース)
・1899(明治32)年10月14日 4面
①
「日本鉄道滊車顚覆事件餘報」に当時の風の強さについて書かれています。
3.その他
以下の資料にも事故についての記述はありましたが、今回お探しの情報は確認できませんでした。
・『下野史談 第2巻第1号~第23巻第2号』(下野史談会 1925)
※第2巻第1号~第23巻第2号の合冊
・『下野史談 第23巻第1号~第24巻第4号』(田代黒瀧/編 下野史談会 1946)
・『下野史談 第7号(昭和39年10月)』(下野史談会 1964)
・『下野史談 第40号』(田代博/編 下野史談会 1978)
※第35号~第40号の合冊
・『下野史談 第69号』(下野史談会/編、発行 1989)
・『下野史談 第72号』(下野史談会/編、発行 1990)
・『下野史談 第86号』(飯田勝丈/著 下野史談会 1997)
・『下野史談 第89号』(下野史談会/編、発行 1999)
・『明治期鉄道史資料 第2集‐2』(野田正穂/〔ほか〕編 日本経済評論社 1980)
※復刻版
・『栃木県史 通史編7』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982)
・『栃木県の気象百年』(宇都宮地方気象台/編、発行 1990)
・『ニュースで追う明治日本発掘 6』(鈴木孝一/編 河出書房新社 1995)
・『日本鉄道業の形成 1869~1894年』(中村尚史/著 日本経済評論社 1998)
なお『下野史談』については当館が以前調査回答した事例の中に、項目名等の詳細があります。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000190561 (2022.12.23確認)