レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年04月11日
- 登録日時
- 2024/03/07 10:43
- 更新日時
- 2024/03/07 13:21
- 管理番号
- 9000038712
- 質問
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解決
富士川舟運における石和宿までの経路を知りたい。
また、扱っていた品物に海産物があったか知りたい。
- 回答
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富士川舟運における石和宿までの経路は、以下の2点に記述があった。
『山梨県歴史の道調査報告書 第19集 富士川水運』(山梨県教育委員会/編集 山梨県教育委員会 1991年)
「富士川水運は三河岸より上流では石和(川田)河岸が利用された。笛吹川は明治四十年の大洪水の前までは、今の近津堰から平等川に至る水路が本流で、甲州街道がこれを渡るあたり(今の甲運亭付近)が河岸であり、渡船場であった」(p.59)
『うかいの郷いさわ]』(石和町立石和中学校/編 石和町立石和中学校PTA 1987年)
「富士川船は、石和まで近番船といい、笛吹川を上下し、積荷し、沿岸の地へ輸送し、船籍は100以上に及び、上曽根村(中道)の浜が荷次所として栄えた」(p.10)
取り扱っていた荷については、以下の2点に記述があり、海産物として生魚、水産加工品としてホシカ(干鰯)、天草、鰹節などの記載があった。
『富士川水運史』(青山靖/著 地方書院 1959年)
上り荷として「畳表のリユウキユウ・砂糖・ホシカ・天草・塩・原綿・葉煙草・石油・藍玉・生魚・乾物・油粕・豆粕・雑貨」(p.130)
『石和宿の変遷』(石和町郷土研究会/編 石和町郷土研究会 2002年)
石和宿の交易として「富士川の舟運による食塩・乾物類・鰹節等の外は大方は馬によって笹子・御坂を越えて運搬された」(p.2)
- 回答プロセス
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(1) 地域資料の「富士川舟運」関係資料(Y68、K68)を確認
→取扱い品目についての記述はあったが、経路については記述なし。
(2) 石和宿であることから、石和町関係資料を確認
→取扱い品目と、「近番船」についての記述はあったが、経路に関する詳細な記述はなし。
(3) 「富士川水運」で検索したところ、『歴史の道調査報告書』がヒット
→石和宿についての記述はあったが、詳しい経路は確認できなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 内陸水運.運河交通 (684 10版)
- 参考資料
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山梨県教育委員会文化課 編集. 山梨県歴史の道調査報告書 第19集. 山梨県教育委員会, 1991.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I22211103037178 (pp.59-61,請求記号K29/ヤマ/19,資料番号0102589777.) -
石和町立石和中学校 編.うかいの郷いさわ.石和町立石和中学校PTA,1987.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I19111009210178776 (p.10,請求記号K292/イサ/,資料番号0101923001.) -
青山靖著. 富士川水運史. 地方書院, 1959.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282272662271616 (p.130,請求記号K68/アオ/,資料番号0103253365.) -
石和町郷土研究会 編.石和宿の変遷.石和町郷土研究会,2002.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I19111009950104438 (p.2,請求記号K292/イサ/,資料番号0103633665.)
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山梨県教育委員会文化課 編集. 山梨県歴史の道調査報告書 第19集. 山梨県教育委員会, 1991.
- キーワード
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- 富士川舟運
- 富士川水運
- 石和宿
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000347099