レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/03/22 10:27
- 更新日時
- 2024/02/23 16:33
- 管理番号
- 愛知県図-03816
- 質問
-
解決
名古屋市南区東又兵衛町にあった帝人名古屋工場の歩みを知りたい。
- 回答
-
【回答】
1918年 帝国人造絹糸(株)創立
1951年 名古屋工場 操業開始
1962年 帝人株式会社へ社名変更
1978年 名古屋工場 閉鎖
名古屋工場は1951年12月に操業を開始。当時は朝鮮戦争による特需により名古屋市内に工場を誘致する動きが盛んであった。(【資料1、4~7】より)
1959年9月26日の伊勢湾台風にて甚大な被害を受けるが、同年10月14日からは一部生産を再開、11月には復旧完了する。(【資料1、3、6】より)
1973年の第一次オイルショックや円高の影響により繊維業界は不況に陥り、1977年12月には閉鎖が決定。翌1978年8月10日に閉鎖され、27年の歴史に幕を下ろした。(【資料1、4】より)
その後1987年7月には、名古屋工場跡地と隣接地を合わせた土地に名古屋市総合体育館(2024年1月現在、ネーミングライツにより「日本ガイシスポーツプラザ」の名称)が設置された。(【資料7】より)
【資料1】『人と化学と100年 帝人のあゆみ』
p29~「名古屋工場の建設と広島工場の廃止」に新工場の用地売買のことや、伊勢湾台風の被害について記載あり。
p101~「第2章 拡大路線からの転換と新事業の成長」の「非常事態宣言」に工場閉鎖決定の背景などの記載あり。
p107~「国内の繊維事業の整理・統合 名古屋工場の閉鎖」に閉鎖について記載あり。
巻末に年表あり、p318,319,325に名古屋工場に関する記載あり。
【資料2】『帝人のあゆみ 7』
「第2章 ス フ紡績の発足 (2)ス フ紡績専門工場の建設決定」の中のp39~45に名古屋工場の敷地選定の経緯や売買交渉についての詳細な記述あり。p45~「(3)名古屋工場の建設」には建設工事に関しての詳細があり、現場写真等も掲載されている。操業開始後のトラブルやその解決についても詳細に書かれている。
【資料3】『帝人のあゆみ 10』
p152~「第4章 台風による名古屋工場の被害」に伊勢湾台風による被害の詳細な記述や当時の写真、工場付近の地図など掲載あり。工場や宿舎、社宅も甚大な被害に遭ったが、社員ら全員が無事であったと書かれている。p178~は社員の被災体験記が綴られており、当時の悲惨な状況が記されている。p185~「(4)活発な救援活動」には、他県にある工場や本社からの救援物資輸送や応援部隊により、迅速な復旧がなされたことが写真とともに詳細に記載されている。
【資料4】『産業の名古屋 2014』
p161年表「5 名古屋の産業小史-2」に「S26 帝人(株)名古屋工場、南区東又兵ヱ町(岡本工場跡)に立地」、p163年表「5 名古屋の産業小史-4」に「S53 帝人名古屋工場(南区東又兵ヱ町)、操業停止(8月)」と記載あり。
【資料5】『新修名古屋市史 第7巻』
「第一章 戦後復興期」「第二節 名古屋市経済の復興」「2 産業の復興と民間貿易の再開 敗戦後の生産の回復」p76~に敗戦後の名古屋市経済復興に関する記述があり、朝鮮戦争特需により名古屋産業が潤ったと書かれている。p77「五〇年には、市と愛知県および名古屋商工会議所を一体とする愛知県工場誘致委員会が全国にさきがけて組織されるとともに、翌年には工場等に対する固定資産税減免措置条例(工場誘致条例)が公布され」、その結果、帝人の名古屋工場などが進出したとある。
【資料6】『南区誌 区制七十年の歩み』
「第四章 産業」「第三節 工業」「三 工業の停滞と復興」p216~名古屋市南区における戦後の産業復興について書かれている。昭和25年の朝鮮動乱を契機とする特需により、繊維の製造工場が複数建設され、南区でも「三井化学工業(株)名古屋工場」、「日清紡績(株)名古屋工場」に続き1951年3月には「帝国人絹(株)名古屋工場(東又兵ヱ町五ノ一)が着工される」と記述がある。
p217~8には伊勢湾台風による工場の被災状況について「帝国人絹(株)名古屋工場―全工場一・五メートル浸水、機械、モーター、原料、製品冠水、工場建物被害甚大」とある。
【資料7】『南区制 100周年記念誌』
p41「3 特需景気と急激な人口増加」に南区の工業地域について記述あり。空襲被害からの復興や、朝鮮戦争特需の流れを受けて「繊維工場を中心とした工場が数多く建てられ」たことが書かれている。
p54「2 工場跡地を有効に利用したスポーツ施設」には「現在の名古屋市総合体育館の一帯は、もともと帝人(株)名古屋工場があった場所。昭和五十三年(一九七八)に同工場が閉鎖した後、工場跡地の有効利用策として、五十七年の名古屋市スポーツ振興計画に盛り込まれたのが、総合体育館建設計画です」とある。隣接する国鉄(現JR東海)笠寺駅のコンテナ基地跡地を含めた土地に昭和62(1987)年7月に名古屋市総合体育館が開館したことが書かれている。
「第3部 南区100年の歩み」「第二章 復興から発展へ」「第二節 生活基盤の再建 三 工業の復活」p144に戦後の工場再建や工業の復興、朝鮮特需による繊維工場の建設に関する記述あり。昭和26年3月には「帝国人造絹絲名古屋工場(東又兵ヱ町五ノ一)が着工される」とある。
p174~「第三章 協働によるまちづくりへ」「第二節 福祉、文化施策等の推進」「(一)文化・スポーツ施設等の整備 名古屋市総合体育館」には帝人名古屋工場の跡地を含めた土地に総合体育館を建設する計画についての詳細が書かれている。
- 回答プロセス
-
1、帝人株式会社の社史【資料1~3】を確認。
2、【資料4】を確認。年表のみ記述あり。
3、【資料5、6、7】で当時の名古屋市南区について調査。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 繊維工学 (586 9版)
- 中部地方 (215)
- 参考資料
-
- 【資料1】人と化学と100年. 帝人, 2021.4. (当館資料番号 1111887063)
- 【資料2】帝人株式会社. 帝人の歩み 7. 帝人, 1972. (当館資料番号 1101664331)
- 【資料3】帝人株式会社. 帝人の歩み 10. 帝人, 1975. (当館資料番号 1101664369)
- 【資料4】名古屋市市民経済局産業部産業労働課 /編集. 産業の名古屋 2014. 名古屋市市民経済局産業部産業労働課, 2014.10. (当館資料番号 1110935685)
- 【資料5】新修名古屋市史編集委員会 /編集. 新修名古屋市史 第7巻. 名古屋市, 1998.3. (当館資料番号 1109212358)
- 【資料6】名古屋市南区役所 /編集. 南区誌 区制七十年の歩み. 名古屋市南区役所, 1979. (当館資料番号 1101479450)
- 【資料7】南区制100周年記念事業実行委員会 /編集. 南区. 南区制100周年記念事業実行委員会, 2008.3. (当館資料番号 1109428072)
- キーワード
-
- 帝人名古屋工場
- 帝国人造絹糸
- 名古屋市総合体育館
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000330840