レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/03/04
- 登録日時
- 2023/03/17 00:30
- 更新日時
- 2023/03/17 00:30
- 管理番号
- 6001060336
- 質問
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解決
昭和4年に開業した阪急百貨店の食堂で人気だったライスカレーの値段を知りたい。
- 回答
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次の資料に記載があった。
■『株式会社阪急百貨店25年史』(阪急百貨店社史編集委員会/編集 阪急百貨店 1976)
「第2章 ターミナルデパートの祖 阪急百貨店出現 第3節 阪急急行電鉄直営 阪急百貨店創業 第12項 第1期ビルに移転した阪急食堂」に次の記載がある。
・「阪急百貨店の開業により、旧阪急ビル4・5階の梅田阪急食堂は」閉鎖し、昭和4年「4月15日阪急百貨店と共に同日午前11時より第1期ビルの7・8階に移転開業した。(中略)料金は阪急食堂創業時より維持してきた洋食一皿30銭均一を守り、新館に移っての料理別客数は旧ビル時代と同様、50銭のランチと25銭のライスカレー(いずれもコーヒー付)が断然多く、特にライスカレーは群を抜いていた。」(p.110-111)
・昭和「6年2月1日より従来一皿30銭均一を保持してきた洋食の値段を20銭均一に値下げするという画期的な方策を実施した。」(p.112)
■『日本外食全史』(阿古真理/著 亜紀書房 2021.3)
「第三章 私たちの洋食文化 一 定番洋食の始まり 愛されるカレーライス」に「一九二九(昭和四)年に開業した大阪の阪急百貨店の食堂でもカレーは人気メニューだった。」(p.353)
●「浪速カレー事始め ジャパニーズカレーのルーツは大阪だった」『SEMBA』<臨時増刊 かれ~らいすの本>(ヒューマガジン 1989.11)
「このころには、デパートの食堂にもカレーが登場している。カレーをはじめてメニューに入れたのは、梅田の阪急百貨店。昭和4年のことである。(中略)この時の値段は、コーヒーつきで30銭。一日に1万3000食を売る大ヒットとなった。」(p.16)
●「京阪神カレーガイド トラディショナル」『SEMBA』<臨時増刊 かれ~らいすの本>(ヒューマガジン 1989.11)
「大阪 キタ 阪急百貨店大食堂」に「大正9年誕生のカレー」とあり、大正9年に開業した梅田阪急食堂のメニューにライスカレーがあり、「昭和4年4月15日、大阪梅田に阪急百貨店が誕生した。当時7、8階が大食堂。日本一の食堂の出現と同時に、その時、最も人気を呼んでいたのが大正時代から受け継がれてきた25銭のライスカレーであった。(中略)値段との戦いもあった。大正時代からコーヒー付きで30銭だったライスカレーを20銭にしたのは昭和6年2月のこと。もっと多くの人にライスカレーを味わってもらいたいという想いからである。味はそのままで値下げしたのだからさらに大好評を得、食堂はいつも大混雑。」(p.28)とある。
●カワムラケイジ「大阪スパイス・ヒストリー」『島民』<133>(島民プレス 2020.3)
「昭和4年(1929)には現在地に阪急百貨店を開業し、7・8階を食堂とした。ここで一番人気だったのが大正時代から続くライスカレー。コーヒー付きで20銭とし、爆発的な人気を呼ぶ。昭和11年(1936)の記録では、1日に1万3000食とある。」(p.4)
[事例作成日:2023年3月4日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貨幣.通貨 (337 10版)
- 食品.料理 (596 10版)
- 参考資料
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- 株式会社阪急百貨店25年史 阪急百貨店社史編集委員会∥編集 阪急百貨店 1976 (110-112)
- 日本外食全史 阿古/真理‖著 亜紀書房 2021.3 (353)
- 月刊SEMBA ヒューマガジン 226-230 230号:1989年主要目次
- 島民 島民プレス 島民プレス 2008-2021 114-136(2018.1-2021.3) 136号で終刊
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 業務
- 登録番号
- 1000330446