レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月23日
- 登録日時
- 2012/03/10 13:44
- 更新日時
- 2012/03/30 09:11
- 管理番号
- 2009-0066
- 質問
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解決
山形県内の次の磨崖仏に関する資料(行政機関発行の資料)の所蔵はあるか。
1) 東根市大森山の磨崖仏
2) 遊佐町十六羅漢岩
- 回答
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当館所蔵の資料から、磨崖仏についての記載があった資料(行政機関発行のもの)として、下記の資料をご紹介します。
資料①のP44~45には、大森山南山麓の大きな凝灰岩に上下二段の仏像が浮彫りにされていること、いずれもかなり風化しており、上段の5体は五智如来と推定されるが確認はむずかしいこと、下段には六地蔵が刻まれていることなどが記載されています。
資料②のP255~257には、中世の大森山が在地の霊場として信仰を集めており、周りに宗教的施設が多数分布すること、ふもとには磨崖仏の五智如来や、洞穴の上面に掘り込まれた六地蔵や、二体の仏像などが知られていること、また、大森山近辺は葬送や納骨の場所としても機能していたことなどが、大森山周辺史跡分布図とともに記載されています。
資料③のP908~910では、大森山の磨崖仏が鎌倉時代の彫刻で、県内最古の磨崖仏であり、大森山が地域霊場だったことを示す重要な歴史資料といえると記述しています。昭和62年4月1日、彫刻として東根市の有形文化財に指定されています。
資料④のP324~326には、磨崖仏は大きな凝灰岩に岩室を造り、上段に四体の仏像、下段に六地蔵が彫られているが、上段の仏像は、蓮台座に舟後光に線彫りされ、左はしに一体分のスペースがあり、何らかの事情によって未完成となったものであろうとの記述がなされています。
資料⑤のP884~885には、十六羅漢岩が平成18年3月、遊佐町の文化財に指定されたこと、吹浦海岸には十六体の羅漢像のほか、釈迦牟尼一体と文殊・普賢の両菩薩、観音・舎利仏・目蓮像の三体を加えた二十二体の像が刻されていること、また、海難に遭遇して命を落とした諸霊の供養のため、また、海上安全・衆上救済のため羅漢の造仏を発願したのは海禅寺の寛海和尚で、托鉢・勧化を行い、升川の石工に協力を仰ぎながら、刻苦すること五年、みごとな磨崖造仏が、明治元(1868)年に完成したと記されています。
資料⑥のP168~169には、諸霊供養のため造仏を発願した寛海和尚について、自然の岩石に仏像を刻むのは、相手が硬い石なので、これに勝る不屈の闘志を必要とする羅漢像を刻み衆生を救わんとする悲願は大きく評価すべきである旨記載されています。なお、寛海和尚は、明治4年、71歳で逝去されたとのことです。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏教 (180 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 資料①東根市の文化財/東根市文化財調査委員会編/1978(k709.2/ヒガ)
- 資料②東根市史 通史篇上巻/東根市編/1995(k261.2/ヒガ/1)
- 資料③東根市史 通史篇下巻/東根市編/2002(k261.2/ヒガ/2)
- 資料④東根市史 別巻上 考古・民俗篇/東根市史編さん委員会 東根市史編集委員会編/1989(k261.2/ベ/1)
- 資料⑤遊佐町史 上巻/遊佐町編/2008(k220.5/ユザ/1)
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資料⑥改訂遊佐の歴史/遊佐町編/1974(k220.5/ユザ)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 磨崖仏
- 東根市大森山
- 十六羅漢岩
- 寛海和尚
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000103378