レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年11月01日
- 登録日時
- 2023/12/06 15:15
- 更新日時
- 2023/12/27 16:47
- 管理番号
- 市川20221101-03
- 質問
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解決
市川競馬場(昭和6年~14年 現・大洲防災公園)で行われていた競走(繋(けい)駕(が)速(そく)歩(ほ)競走、騎乗速歩競走等)について知りたい。またレースプログラムや当時の状況があれば知りたい(レファレンス協同データベースにある事例「市川市内に競馬場があったと耳にした。いつ頃、どこにあったか知りたい。https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&lsmp=1&kwup=%E5%B8%82%E5%B7%9D%E7%AB%B6%E9%A6%AC&kwbt=%E5%B8%82%E5%B7%9D%E7%AB%B6%E9%A6%AC&mcmd=25&mcup=25&mcbt=25&st=score&asc=desc&oldmc=25&oldst=score&oldasc=desc&id=1000151907(2023.2.17確認)については既に確認済)
- 回答
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『いちかわ 平成元年十一月号』(エピック 1989)p.60-61「私語瑣談(5)市川競馬盛衰記」に、開設のいきさつ、開催の状況、廃止への動きと幕切れなどが書かれている。「(昭和6年)12月18日から3日間、第1回市川競馬が開催されるはこびになった。出走馬は150頭、馬券売り上げも19万円余と人気も上々だった。市川競馬は春秋2期の開催で、第2回は昭和7年2月12日から3日間にわたり開催された。馬券売上げも21万7千円と前回を上回る好成績だった」。また最終レースについては、「昭和14年9月28日から4日間、開かれ、ファンが前日から詰めかけたという」。
『市川まちかど博物館 続』(いちかわ・まち研究会 1999)p.81-82に「市川競馬場が大洲にあったころ」の項目があり、「昭和一三年一月開催された新春競馬では馬券売上八二万八千円余りと新記録を達成するが、おりしも戦時体制へと進む時代の中で、昭和一四年九月二八日から四日間の開催をもって市川競馬は幕を閉じることになった。」とある。
『地方競馬史 第1巻』(地方競馬全国協会 1972)を千葉県立中央図書館より取り寄せて提供。p.241「市川競馬場」には、昭和13年限りで廃止と記載があり、上記タウン誌とは廃止年に1年ずれがある。「市川競馬場年次成績」として昭和6年秋から昭和13年秋までの計15回の各開催の日数、出場馬数、有料入場者数、入場券発売高の記載があり、また白黒写真1枚が掲載されている。p.383-392の「〈座談会〉地方競馬むかしばなし」に、競馬場の敷地や厩舎などについての記載がある。
また、国立国会図書館のデジタルコレクションに次のような資料がある。
『競馬年鑑 昭和11年版』(競馬研究会 1936)に「昭和十年各地方競馬成績(抄録)」として「市川競馬」春・秋のレース結果や上位の馬の名前があり、「繋駕」「繋速」「駈歩(かけあし)」などレースの種類も記載されている。
『地方競馬年鑑 昭和13年版』(帝国馬匹協会 1938)に「昭和十一年春季地方競馬成績」、「昭和十一年秋季地方競馬成績」、『地方競馬年鑑 昭和14年版』(帝国馬匹協会 1939)に「昭和十二年春季地方競馬成績」、「昭和十二年秋季地方競馬成績」があり、日数・登録馬数・入場馬数・有料入場者数・牧入・支出等が記載されている。市川競馬場所在地は「東葛飾郡行徳町」、施行許可年月日は「(昭和)6年11月5日」、最初の開催年月日は「(昭和)6年12月18日ヨリ3日間」と記載がある。なお、当時の大洲は行徳町に含まれていた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000343030