レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年02月01日
- 登録日時
- 2023/12/01 19:14
- 更新日時
- 2023/12/01 19:14
- 管理番号
- 市川20230201-01
- 質問
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解決
遠藤源四郎は、安政(1855年~1860年)に富津市砲台の警備を命じられたが、それに関連する本はないか
- 回答
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『千葉県の歴史 資料編近世1』 (千葉県史料研究財団/編集 千葉県 2006)の「第二部 資料編」のp.833-847に「安政六年六月~十月 二本松藩郡方手付遠藤源四郎富津日記」が掲載されている。これは、「第一部 本書を理解するために」のp.82に「二本松領内の名主を「郡方(こおりかた)手付(てつき)」という役職に任命して富津に派遣し、領地の民生にあたらせた。この「郡方(こおりかた)手付(てつき)」として安政六年に赴任したのが、仁井田村(福島県本宮町)名主遠藤源四郎である」とあるとおり、遠藤源四郎が二本松藩によって富津に派遣された際に記した日記を、安政6年6月から10月にかけて抜粋したものである。
砲台警備に関する記述としては、「第二部 資料編」のp.834の安政6年6月6日の日記に「雨風、異船壱艘出渕(州)へ掛朝五つ時頃御陣屋皆々様御見物ニ御出被成候、富津市中も大勢罷出見物致候、同日外ニ二艘渡来内海江乗込候趣ニ御座候、内壱艘ハ上(蒸)汽船の由ニ候、昼過右船見届候様被仰付罷越見申候、委細者別紙控置候」とある。これはp.1120の資料解説で、「六月六日の頃には、源四郎が上役に命じられて、風雨の中、富津沖に滞留したイギリス船に漕(こ)ぎ寄せ乗船したという記事があり、くわしくは別紙に控えておいたと記されているが、その別紙とは次に掲載した二九九のことだと思われる。」とあるとおり、別紙としてp.844-847に「二九九 安政六年六月 二本松藩郡方手付遠藤源四郎異国船見聞記」の史料がある。当時の言葉で記されているが、異国人との交流を描いた箇所については、p.80-83の「東北の名主、富津で異国船に乗る」に現代語訳と解説があり、解説では「幕末期には攘夷論が声高に唱えられたが、源四郎の態度には異国人への敵愾心といったものは感じられず、逆に相互理解に努める姿が印象的である。民衆の外国認識のあり方を考える際の好素材だといえる。」と結ばれている。またp.83には、遠藤家で所蔵していた色鮮やかな「富津台場の図」や、上記の日記に記されたイギリス船の「異国船座礁の図」が掲載されている。
「第二部 資料編」のp.1120の資料解説では、「全体として、浦賀奉行所への報告や大砲の操縦訓練、作物の作柄の見分や年貢の取り立て、村内の争いの調停など、多方面にわたる記事が掲載されている。なお、この史料は、源四郎の安政六年二月~五月の日記とともに、『本宮町史五 資料編Ⅱ 近世(1)』に収録されている。」とある。源四郎は、陸奥国安達郡仁井田村(福島県本宮市本宮町)の名主であるため、この史料は、本宮町史編纂委員会で編集されており、福島県の市町村の一部では所蔵がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵機関調査
- 内容種別
- 郷土 人物 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000342774