レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年05月11日
- 登録日時
- 2023/06/09 10:39
- 更新日時
- 2023/07/20 21:16
- 管理番号
- 県立長野-23-041
- 質問
-
解決
塩尻市の養蚕業について知りたい。
1 明治時代から昭和にかけての桑畑の詳細な分布
2 どこの製糸場に繭を出荷していたかわかる資料
- 回答
-
1 桑畑の分布について
(1)桑畑の分布がわかる地図について
大日本帝國陸地測量部、国土地理院が発行している「地形図」に桑畑の地図記号が確認できる。
現在の塩尻市の市域を含む「五万分一地形図」の図名は「塩尻」「伊那」
五万分一地形図については、明治時代末期までさかのぼることができる。
国立国会図書館の所蔵状況については、「国立国会図書館オンライン」で図名と「五万分一地形図」、「1:50000地形図」のキーワードで検索することで確認できる。
また、現在の塩尻市の市域を含む二万五千分一地形図の図名は「塩尻」「贄川」「北小野」「鉢伏山」「藪原」「宮ノ越」「木曽駒ケ岳」。
「二万五千分一地形図」のほうが上記「五万分一地形図」よりも縮尺が小さいため、より詳しい地図になる。
国立国会図書館の所蔵状況については、「国立国会図書館オンライン」で図名と「二万五千分一地形圖」、「1:25000地形図」のキーワードで検索することで確認できる。
(2) 桑畑の分布に関わる統計資料について
明治から戦前にかけての桑畑の面積がわかる資料は確認できなかった。
太平洋戦争後の市町村ごとの桑畑の面積がわかる資料を紹介した。
・『長野県蚕糸業統計 昭和28年』長野県蚕糸課編 長野県 1953【N630/12/'58】
p.1-2「市町村別桑園登録実面積」
昭和28年当時の市町村のため、現在よりも細かい区分で面積が掲載されている。
塩尻市の旧町村名については、NPO長野県図書館等協働機構「信州地域史料アーカイブ」で公開されている『信州ふるさと変遷史 新版』松橋好文原編 一草舎出版 2006【N290.3/46a】p.69「塩尻市」が参考になる。
・『長野県の養蚕累年統計表』農林省長野統計調査事務所編 長野農林統計協会 1968【N630/39】
p.25-27 「桑園面積」に昭和35年から42年までの市町村ごとの桑園の面積が記載されている。
2 繭の出荷先のわかる資料について
・『木曽・楢川村誌 4 近代篇』楢川村誌編纂委員会編集 楢川村 1994【N234/88/4】
p.429-435「農業・養蚕業」のうち、p.433-435に楢川村贄川の百瀬家の大正15年の収支について書かれており、p.434に「表68 百瀬家の養蚕業の収支(大正15年度)」として収入の内訳がわかる。表中「春夏秋繭その他売上げ」に「買主 村田や」「買主 かづさや」「買主 俵屋」「買主 丸木や」の屋号が確認できるが、これらがどのような業種なのかまでは不明。
p.742-748「不況下から日中戦争期の諸団体」のうちp.746-747の「片倉特定養蚕実行組合」について書かれている部分に「表140 養蚕農家と産繭処理(昭和5年)」の表があり、販売先種類、季節、戸数、数量がまとめられている。また、本文に「組合製糸に繭を出す割合が最もおおかった。ついで繭市場に個人や共同で販売するものがおおく、農家の自家販売や片倉製糸場などと特約をして販売するものもすこしあった」とある。
・『塩尻市誌 第4巻 民俗・文化財史資料等』塩尻市誌編纂委員会編 塩尻市 1993【N233/97/4】
第2部村の生活 「山峡の村」p.182-183「養蚕」では、年代は不明だが、繭の販売先として「個人で松本市の市場に運び、等級をつけてもらって売った」「共栄社・普及社などの組合製糸に出した」「片倉製糸の集荷場」にあつめた、「各家を訪れる繭買い商人に売る」等が挙げられている。
「里のムラ」p.276-278「養蚕の盛衰」では、「出荷した繭は、松本市村井などの繭糸会社に出荷してセリにかけて売った。そのあと繭は組合製糸の委託となるとともに、製糸工場へ出荷した。」「ホンマユよりも質の落ちる」繭については、「買い集めに来た仲買人に売った。」「格外の繭は、自家用の糸や真綿等を取ったりした」とある。
「山麓の村」p.361-363「松本市村井や岡谷市などの繭糸会社でセリにかけて売った。その後は松本市の片倉会社や共栄社などの組合製糸から委託飼育となるとともに、製糸工場へ出荷するようになった。委託飼育がおこなわれた繭は繭買いのあきんどに、値段を高くしてヌキガイをされることもあった。(中略)くず繭は、繭買いのあきんどに売った。委託飼育を依頼された種繭は、松本市の普及社に出荷した」とある。
・『長野県史 近代史料編 第5巻(3)産業 蚕糸業』長野県編 長野県史刊行会 1980【N209/11-1/5-3】【国立国会図書館デジタルコレクション, 図書館・個人送信限定】
直接繭の出荷先がわかる資料ではないが、p.158-162「109 昭和八年長野県繭糸会社別繭取引状況調」に各市場の取引期間、取引口数、取引数量、取引価格、単価、一日最多取引の数値が示されている。
また、付録p.19-125「長野県製糸工場表」に明治時代から昭和にかけての製糸工場の一覧が掲載されており、時代ごとに項目は異なるが、郡・町村ごとに製糸工場名と起業年月日、釜数一ヶ年製造額等が表にまとめられている。
回答記載のウェブページの最終確認日はいずれも2023年7月16日。
- 回答プロセス
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1 長野県内の蚕糸業に関わる長野県郷土資料分類 N630 の資料を参照する。
『激動の蚕糸業史』丸山新太郎著・刊 1987【N630/72】
『日本近代蚕糸業の展開』上山和雄著 日本経済評論社 2016【N632/28】
2 統計に関わる資料を探す
『長野県統計書 明治16年』長野県 1885【N350/4/'83】【国立国会図書館デジタルコレクション, インターネット公開(保護期間満了)】[最終確認日 2023年7月16日]
郡ごとにまとめられた数値のみ確認できたが、細かい地域ごとの統計は掲載されていない。
3 地図資料で土地利用についてわかる資料を探す
土地の利用方法を示す「土地利用図」は主に太平洋戦争後に作成されたもののため、調査対象からはずす。
国土地理院の地形図に桑畑を示す地図記号があるため、「地形図」を紹介する。
長野県外からの問い合わせであったため、当館より多くの資料を所蔵している国立国会図書館の所蔵を紹介した。
<参考>
国立国会図書館「リサーチナビ 日本の地形図」[最終確認日 2023年7月16日]
- 事前調査事項
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『地形図でたどる長野県の100年』長野県地理学会編 信濃毎日新聞社 2020【N209/60】
『蚕糸王国 長野県 -日本の近代化を支えた養蚕・蚕種・製糸-』新津新生 川辺書林 2017 【N632/29】
『蚕にみる明治維新』鈴木芳行著 吉川弘文館 2011【632.1/スヨ】
『近世漆器の産業技術と構造』北野信彦 雄山閣 2005
『信濃蚕糸業史・上中下巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史 上巻』江口善次共編 大日本蚕糸会信濃支会 1937【N630/30/1】【国立国会図書館デジタルコレクション, 図書館・個人送信限定】[最終確認日 2023年7月16日]
『信濃蚕糸業史 中巻』江口善次共編 大日本蚕糸会信濃支会 1937【N630/30/2】【国立国会図書館デジタルコレクション, 図書館・個人送信限定】[最終確認日 2023年7月16日]
『信濃蚕糸業史 下巻』江口善次共編 大日本蚕糸会信濃支会 1937【N630/30/3】【国立国会図書館デジタルコレクション, 図書館・個人送信限定】[最終確認日 2023年7月16日]
- NDC
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- 蚕糸業 (630)
- 参考資料
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長野県蚕糸課/編 , 長野県蚕糸課 , 長野県蚕糸課. 長野県蚕糸業統計 昭和28年. 長野県, 1953-05.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059277146-00 -
農林省長野統計調査事務所/編 , 農林省長野統計調査事務所. 長野県の養蚕累年統計表. 長野農林統計協会, 1968-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059277704-00 -
楢川村誌編纂委員会/編集 , 楢川村誌編纂委員会 , 楢川村誌編纂委員会. 木曽・楢川村誌 4 近代編. 楢川村, 1994-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059085338-00 -
塩尻市誌編纂委員会/編 , 塩尻市誌編纂委員会. 塩尻市誌 : 民俗・文化財・史資料等 第4巻. 塩尻市, 1993-06.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059367559-00 -
長野県/編 , 長野県 , 長野県. 長野県史 近代史料編 第5巻(3)産業. 長野県史刊行会, 1980-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059104017-00
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長野県蚕糸課/編 , 長野県蚕糸課 , 長野県蚕糸課. 長野県蚕糸業統計 昭和28年. 長野県, 1953-05.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000334340