レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/12/4
- 登録日時
- 2023/04/01 00:31
- 更新日時
- 2024/03/30 00:43
- 管理番号
- M23020911238740
- 質問
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明治33年(1900)に阿哲郡新郷村千屋が阿哲郡千屋村へ分離したことについて知りたい。
- 回答
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①『神郷町史』の「千屋の分村」によると、「はじめ千屋村・釜村・高瀬村を合して一村とし、新郷村を作ったのだが、千屋川右岸の地、、原・神原・古屋・大城・則元から朝間・茶屋に至る間、当時役場のあった釜村和忠まで来るということは、頗る不便であった。その上対岸の実村とは水流を同じくするのみならず指呼の間にあり、実小学校創設以来は、この地区の児童はそこに便宜修学し、住民感情としても千屋・実の間は親和的であったので、しばしの折衝の後、村会の議決によって、明治33年(1900)10月5日をもって、千屋住民の希望に従い、新郷村から分離して実村・花見村・井原村が合して千屋村となった。」と書かれている。
②『阿哲郡誌 上巻』の千屋村について、「千屋は町村制実施の時、新郷村の一部たりしを、明治33年10月1日分ちて千屋村に編入せり。盖地勢交通上の関係より千屋村に属するを以て村民の便とするに基けるものなり。」と書かれている。また、新郷村については、「町村制実施の時釜・高瀬・千屋の三村を以て新郷村を置く。然るに明治33年10月大字千屋の交通の便否より、千屋村に併せらるゝ事の便利なりとし、村民の希望に従ひ之を分離して戸矢村に編入せり。」と書かれている。
③『岡山県市町村合併誌 続編』では、神郷町のページに「明治33年10月千屋村に一部編入された。」と書かれている。また、市町村廃置分合一覧表でも、明治33年10月1日に大字千屋が千屋村へ編入したことが示されている。
④『岡山県市町村合併誌 市町村編』では、新郷村について「明治33年10月にいたり、旧千屋村の区域は、地形的に隣接の千屋村に合併することが適切であるとして、これを分離し千屋村に編入した。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 参考資料
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①神郷町史編纂委員『神郷町史』神郷町(阿哲郡) 神郷町,1971,557p. 参照はp.513.
②阿哲郡教育会『阿哲郡誌 上巻』岡山 阿哲郡教育会,1929,812p. 参照はp.410,412.
③岡山県『岡山県市町村合併誌 続編』岡山 岡山県,1981,679p. 参照はp.400,609.
④岡山県『岡山県市町村合併誌 市町村編』岡山 岡山県,1960,1197p. 参照はp.855.
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①神郷町史編纂委員『神郷町史』神郷町(阿哲郡) 神郷町,1971,557p. 参照はp.513.
- キーワード
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- 市町村合併 廃置分合 区域変更 新見市 千屋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2023020911244038740
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000331496