レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/12/07
- 登録日時
- 2023/01/25 00:30
- 更新日時
- 2023/01/25 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-220216
- 質問
-
解決
宮澤賢治が子どもの頃に見たサーカスを調べている。盛岡,花巻,または仙台に来たサーカスを見たのではないかと思われる。
「日の出新聞」の記事によると,明治20(1887)年4月にイタリアから来たサーカス団が京都で興行していたようだ。演奏された音楽に関する詳細も知りたい。
- 回答
-
下記資料を御案内します。
※【 】内は当館の請求記号です。
(1)宮沢賢治に関する調査
下記資料1に,子どもの頃に見たサーカスに関する記述がありました。
資料1 宮沢清六 著『兄のトランク』筑摩書房, 1987【910.268/ミケ1987.9】
pp.20-31「映画についての断章」の項
pp.20-24「私がまだ四歳くらいで明治四十年のころのことです。はじめて兄と一しょに活動写真を見に行ったのは,花巻の朝日座という芝居小屋でした。(中略)当時の花巻町の氏神,鳥谷ヶ崎神社の秋の三日間の祭りには,朝日座の前のお旅屋が人出の中心となっていました。この一年に一度のお祭りには,たくさんの山車が御輿さんの前を笛や太鼓や三味線で先導し,後の方には鹿おどりや剣舞がお供をして町内をねり歩いて,最後に朝日座前のお旅屋におみこしが鎮座するのです。(中略)見世物の中心は毎年サーカスか動物園で,その横の方には地獄極楽のあやつり人形の年もあれば,南洋から来た大蛇やぬけ首のこともありました。(後略)」
その他,下記資料及び開架資料の図書分類記号「910.268」にある「宮沢賢治」に関する資料をいくつか確認しましたが,子どもの頃にサーカスを見たという内容が記載されている資料は見当たりませんでした。(最終検索日:2022/11/24)
資料2 渡部芳紀 編『宮沢賢治大事典』勉誠出版, 2007【910.268/ミケ2007.8/R】
資料3 原子朗 著『定本宮澤賢治語彙辞典』筑摩書房, 2013【910.268/ミケ2013.8/R】
資料4 足立巻一 [ほか]編『宮沢賢治』(人と文学シリーズ 現代日本文学アルバム), 学習研究社, 1980【910.268/ミケ1980.5】
資料5 今野勉 著『宮沢賢治の真実』新潮社, 2017【910.268/ミケ2017.2】
資料6 石岡直美 著『宮沢賢治研究』碧天舎, 2004【910.268/ミケ2004.6】
資料7 小川達雄 著『盛岡中学生宮沢賢治』河出書房新社, 2004【910.268/ミケ2004.2】
資料8 松田司郎 文と写真『宮沢賢治の旅』五柳書院, 1988【910.268/ミケ1988.5】
資料9 宮沢賢治 [著]『<新>校本宮澤賢治全集』第16巻下[1] : 補遺・資料 年譜篇, 筑摩書房, 2001【918.68/ミケ1995.5/16-2-1】
(2)花巻市,鳥谷ヶ崎神社に関する調査
下記資料を確認しましたが,花巻市や鳥谷ヶ崎神社で行われたサーカスに関する記載は見当たりませんでした。
資料10 熊谷章一 著『花巻市史』古代中世篇, 花巻市教育委員会, 1965【212.2/ハ1/3】
資料11 熊谷章一 著『花巻市史』近代篇, 花巻市教育委員会, 1968【212.2/ハ1/6】
資料12 熊谷章一 著『花巻市史』別篇1 : 神社篇, 花巻市教育委員会, 1966【212.2/ハ1/4】
資料13 熊谷章一 著『花巻市史』別篇3 : 民俗篇, 花巻市教育委員会, 1967【212.2/ハ1/5】
資料14 熊谷章一 著『花巻市史』別篇4 : 郷土芸能篇, 花巻市教育委員会, 1963【212.2/ハ1/2】
(3)サーカス団に関する資料の調査
チャリニ曲馬一座についてや,明治期の日本のサーカスに関する内容は下記資料にも記載されていましたが,花巻で興業を行ったという内容は見当たりませんでした。
資料15 阿久根巌 著『サーカス誕生』ありな書房, 1988【779.5/ア1-2】
資料16 阿久根巌 著『サーカスの歴史』西田書店, 1977【779.5/ア1】
資料17 尾崎宏次 著『日本のサーカス』三芽書房, 1958【779.5/オ1】
(4)サーカスで演奏された音楽に関する調査
下記資料18の記事中に以下の記述がありました。
資料18 『國文學解釋と鑑賞』第66巻8号, 至文堂, 2001【P910/コ】
pp.111-115 黄英 [著]「『黄いろのトマト』-サーカスを手掛かりに」の項
pp.111-112「「黄いろのトマト」の主人公ペムペルとネリが外の世界で出会った人々や物事はすべてサーカスと関係している。故に作品分析に当たって,サーカスがキーワードとなり,それをめぐる考察が不可欠で且つ有効であると思う。本稿はサーカスを手掛かりにし,ペムペルたちが出会った世界にアプローチしたいと思う。(中略)明治末頃から第二次世界大戦までのサーカス団のタイトルミュージックといえば,まず「美しき天然」,通称「天然の美」が想起されると言われている。(中略)また,その頃から,それまで三味線を中心とした和曲が使われていた伴奏が,次第に洋楽器に切り替えられ始め,器用な座員がコルネットやクラリネットを吹くと,あとは見よう見真似で修得したという程度の早替わり楽士が,メロディーの簡単な軍艦マーチや天然の美を演奏するという調子であったという。(後略)」
後日,追加調査で下記の資料がありました。(2022/12/01)
(1)宮沢賢治に関する調査
下記資料19-20に関連する記述がありましたが,どちらの資料も宮沢清六氏による「映画についての断章」を参照としています。参考までに御紹介します。
資料19 宮沢賢治研究会 編『宮沢賢治 文語詩の森』第3集, 柏プラーノ, 2002【911.52/ミケ2000.9/3】
pp.140-147 長沼士朗 [著]「〔銅鑼と看版 トロンボン〕」の項
p.143「賢治にとってこうしたサーカスの興行は,少年時代,当時の花巻町の氏神様,鳥谷ヶ崎神社の秋祭りでよく見る光景であった。平成一三年六月二九日に九七歳で亡くなられた賢治の弟宮沢清六氏の著書『兄のトランク』の「映画についての断章」の中に,明治四一年頃のこの秋祭りについて触れた次のような記述がある。(後略)」
資料20 今村昌平 [ほか]編集『講座 日本映画』3 : トーキーの時代, 岩波書店, 1986【778.2/ニ4/3】
付属月報-3 pp.4-7 佐藤泰平[著]「無声映画の楽士たち-「セロ弾きのゴーシュ」とかかわって-」の項
p.7「賢治は,自分の幼児期に耳にしたサーカスのジンタが吹き鳴らすほんの一ふしでさえ,貴重な音楽的財産となったことを,童話「黄いろのトマト」で明らかにしたほど鋭敏で精緻な音楽的感性を備えていた人である。そのような賢治であるからこそ,話題としてはほとんど顧みられなくなっていく無声映画の楽士の一コマを童話の形で残すことが出来た。(後略)」
(4)サーカスで演奏された音楽に関する調査
下記資料21-22に,簡潔な一文ですがチャリニ曲馬一座の興行での音楽に関する記述がありました。資料21は明治20年4月京都での興行,資料22は明治22年東京での興行についての記述となります。
資料21 芸能史研究会 編『日本芸能史』第7巻 : 近代・現代, 法政大学出版局, 1990【772.1/ニ2/7】
pp.82-85 「第二章 都市の演芸」-「一 浅草と宝塚」-「西洋への目覚め」の項
p.82「明治二十年二月二十七日,イタリア人チャリネの率いる曲馬団が,神戸市内で興行をはじめた。(中略)また四月八日から十九日まで,チャリネの曲馬は京都市民を驚かせた。京阪神の民衆が接したのは,一座中のポルトガルやスペイン生まれの楽士が奏でる得体の知れない音楽である。(後略)」
資料22 少年園 [編]『少年園』複刻版. 第2巻 : 第13号~第24号 明治22年5月~10月, 不二出版, 1988【PJ051.8/シ】
pp.272-273「第二巻第廿貳号」-「兩國チャリ子の曲馬」の項
p.273「(前略)軈て約束の時刻となりたれば,合圖も點鐘に應じ,式の如く面白き音樂を奏し,第一番に演じたるは,前年と同一のものにて,古羅馬風の扮裝にて美男子美女子各四人馬に跨がり轡を並べて出で來り,(後略)」
その他,下記資料23に,サーカス等における音楽に関する記述がありました。
資料23 堀内敬三 著『音楽五十年史』新版. 鱒書房, 1948【762.1/ホ1】
pp.146-149「第二章 明治後期の音楽」-「四○,ジンタの全盛と衰運」の項
pp.147-148「市中音楽隊-略して「樂隊」と云はれた。「ジンタ」と云う名は大正初期に出來たものらしい-は廣告の町廻りに使われる以外に,曲馬團・パノラマの人寄せに使われ,或は賣出し・運動會に使われた。活動寫眞が始まるとジンタが伴奏した。すべての「ハイカラ」な催しにはジンタが参加したのである。(中略)演奏曲目は中々豊富である。軍歌では「元寇(四百餘州)」「敵は幾萬」,行進曲では「君が代マーチ」「帝國マーチ」,(中略)圓舞曲で代表的なものは「美しき天然」,高級なところで「ドナウ河の漣」,(中略)小圓舞曲に「デイジーワルツ」,(中略)舞曲では「カドリール」(中略)唱歌では「舟あそび」(中略)日本古來の曲では賑やかなところで「越後獅子」「舌出三番叟」「かつぽれ」,上品になると「六段」「春雨」,曲馬團や町廻りが奏するうらぶれた「竹に雀」。」
なお,前掲資料22につきましては,「国立国会図書館デジタルコレクション」から内容をご覧になることが可能です。当該資料は,図書館・個人送信限定公開資料となっております。
「国立国会図書館デジタルコレクション」
・少年園 [編]『少年園』第2巻第22号, 不二出版, 1889年
コマ番号 14
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1784185 (最終アクセス日:2022/12/01)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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下記資料から,明治20年4月8日にイタリアのチャリニ曲馬一座が京都に来たという内容を確認しています。
<事前調査資料>
三好一 著『ニッポン・サーカス物語』白水社, 1993【779.5/ミハ1993.8】
pp.170-186「第三章 京都の見世物興行と大スペクタクル」-「チャリニ曲馬一座,京都へ」の項
また,当該項において,興行の構成についても確認しています。
pp.176-180「構成は一部,中入り休憩,二部となっている。/一部の幕開け/一 楽団演奏 曲目は残念ながら不明(中略)/中入 十五分間の休憩/二部の幕開け/一 楽団演奏 曲目不明(後略)」
- NDC
-
- 大衆演芸 (779 9版)
- 参考資料
-
- 宮沢 清六/著. 兄のトランク. 筑摩書房, 1987.9【910.268/ミケ1987.9】:pp.20-24
- 至文堂. 國文學解釋と鑑賞 第66巻8号. 至文堂, 2001.8【P910/コ】:
- 宮沢賢治研究会∥編. 宮沢賢治文語詩の森 第3集. 柏プラーノ, 2002.7【911.52/ミケ2000.9/3】:
- 今村 昌平/[ほか]編集. 講座 日本映画 3. 岩波書店, 1986.3【778.2/ニ4/3】:
- 芸能史研究会/編. 日本芸能史 第7巻. 法政大学出版局, 1990.3【772.1/ニ2/7】:
- 三好 一/著. ニッポン・サーカス物語. 白水社, 1993.8【779.5/ミハ1993.8】:
- 渡部/芳紀∥編. 宮沢賢治大事典. 勉誠出版, 2007.8【910.268/ミケ2007.8/R】:
- 原/子朗?著. 定本宮澤賢治語彙辞典. 筑摩書房, 2013.8【910.268/ミケ2013.8/R】:
- . 宮沢賢治. 学研, 1980.5【910.268/ミケ1980.5】:
- 今野/勉?著. 宮沢賢治の真実. 新潮社, 2017.2【910.268/ミケ2017.2】:
- 石岡/直美∥著. 宮沢賢治研究. 碧天舎, 2004.6【910.268/ミケ2004.6】:
- 小川/達雄∥著. 盛岡中学生宮沢賢治. 河出書房新社, 2004.2【910.268/ミケ2004.2】:
- 熊谷 章一/著. 花巻市史 古代中世篇. 花巻市教育委員会, 1965【212.2/ハ1/3】:
- 松田 司郎/文と写真. 宮沢賢治の旅. 五柳書院, 1988.5【910.268/ミケ1988.5】:
- 宮沢 賢治/[著]. <新>校本宮澤賢治全集 第16巻下[1]. 筑摩書房, 2001.12【918.68/ミケ1995.5/16-2-1】:
- 熊谷章一/著. 花巻市史 近代篇. 花巻市教育委員会, 1968【212.2/ハ1/6】:
- 熊谷 章一/著. 花巻市史 別篇1. 花巻市教育委員会, 1966【212.2/ハ1/4】:
- 阿久根 巌/著. サーカスの歴史. 西田書店, 1977【779.5/ア1】:
- 熊谷章一/著. 花巻市史 民俗篇. 花巻市教育委員会, 1967【212.2/ハ1/5】:
- 尾崎 宏次/著. 日本のサーカス. 三芽書房, 1958【779.5/オ1】:
- 阿久根 巌/著. サーカス誕生. ありな書房, 1988.4【779.5/ア1-2】:
- 熊谷 章一/著. 花巻市史 別篇4. 花巻市教育委員会, 1963【212.2/ハ1/2】:
- キーワード
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- サーカス -- 歴史
- 曲芸団
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000327849