レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年6月1日
- 登録日時
- 2022/10/28 00:30
- 更新日時
- 2022/11/21 14:47
- 管理番号
- 中央-1-0021594
- 質問
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解決
浦和の両墓制についての資料を教えてほしい。
また、ウチ・ソトラントの場所が記載されている資料はないか。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
・『大宮の郷土史 第17号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 1998年
p1-14河田捷一「県南部の両墓制について -浦和金剛寺を中心に-」
p2-5「二、三市の両墓制」で浦和市内の両墓制7か所を紹介。うち4か所については、詣り墓(ウチラント)・埋め墓(ソトラント)の場所を記載している。
p7-12「三、浦和市の両墓制-金剛寺の事例から-」で金剛寺の陵墓制について詳細に記述。詣り墓の金剛寺墓地と埋め墓の薬師堂墓地の配置図もある。
・『文化財の調査 第4集』浦和市教育委員会 1959年
p29-43「浦和市内の両墓制」で、「浦和市太田窪字大在家の両墓制」「浦和市大間木字水深の両墓制」「浦和市大谷場字一ツ木の両墓制」の3か所について、調査した結果を記述。詣り墓・埋め墓の具体的な場所については記載していないが、それぞれの写真はある。
・『浦和市史 民俗編』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1980年
p529-533浦和市内の両墓制とみられる例を列挙。それぞれの詣り墓・埋め墓の場所についても、簡単な言及あり。ソトラントの写真も掲載している。
・『新編埼玉県史 別編2 民俗2』埼玉県/編集 埼玉県 1986年
p264-265「(五)両墓制」において、「浦和市松本新田の真乗寺」「浦和市道場の金剛寺」「浦和市中尾の桑原観音」の3か所の両墓制について記述。それぞれの詣り墓・埋め墓の場所についても、簡単な言及あり。
・『日本の民俗 11 埼玉』第一法規出版 1972年
p212-213「浦和市太田窪字大在家には、三十余戸の共有墓地があり、ここでは両墓制をとっている。」という記述と共に、両墓制についての説明あり。詣り墓・埋め墓の具体的な場所については言及なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 通過儀礼.冠婚葬祭 (385 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市浦和区
- 両墓制
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323134