レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/06/10
- 登録日時
- 2022/08/28 00:30
- 更新日時
- 2022/08/28 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-220034
- 質問
-
未解決
寛永17年(1640年)から万治4年(1661年)までの仙台藩の江戸家老及び江戸留守居役の氏名,石高を知りたい。一覧表があれば見たい。
- 回答
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仙台藩では「江戸家老」にあたる役職が「江戸詰奉行」,「江戸留守居役」にあたる役職が「公儀使」になると考えられます。
寛永17年(1640年)から万治4年(1661年)までの,仙台藩奉行職,また公儀使に就いていた藩士に関連する一覧表,または記述が見つかりましたが,いずれの奉行に就任したかについて明記されている資料はありませんでした。
- 回答プロセス
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1 仙台藩における「江戸家老」「江戸留守居役」にあたる役職の呼称について
※【 】内は当館請求記号です。
資料1 仙台郷土研究会編『仙台藩歴史用語辞典』仙台郷土研究会, 2015【K205/2015.6】によりますと,仙台藩における当該役職の呼称については,下記の通りになっています。
p.31「かろう〔家老〕 武家の家臣のうちで最も重要な職で,家中を総括した役。仙台藩では奉行という。他家に対しては家老と称した。」
p.42「こうぎし・こうぎづかい〔公儀使〕 藩の江戸屋敷に常駐し,幕府や諸藩への連絡にあたる藩士。他藩で江戸留守居と称する役と同じ。」
p.96「ぶぎょう〔奉行〕 仙台藩の藩政執行の最高責任者。他藩の家老にあたる。藩主を補佐し,諸役人を選出し,藩政一般を総括する。忠宗の時に定員を六人とし,二人は江戸詰,四人は仙台詰で,そのうち二人は在郷休息と定めたが,後に定員はなくなり,三人から七人程度となった。」
したがって仙台藩では「江戸家老」にあたる役職が「江戸詰奉行」,「江戸留守居役」にあたる役職が「公儀使」になると考えられます。
2 寛永17年(1640年)から万治4年(1661年)にかけての仙台藩の奉行職について
下記資料2-10に当該期間,仙台藩奉行職,また公儀使に就いていた藩士に関連する一覧表,または記述が見つかりましたが,いずれの奉行に就任したかについて明記されている資料はありませんでした。
ご参考までに,それぞれの資料における記載の概要をご紹介します。また,断片的に,当該期間中の「江戸詰奉行」「公儀使」に触れている記載が見つかりましたので,そちらもご紹介します。
資料2 仙台郷土研究会編『仙台藩歴史事典』 仙台郷土研究会, 2012【K205/2012.1】
pp.90-101「10 藩の奉行職一覧」の項
pp.92-93に,次のような記載があります。
「津田頼康(寛永13年就任),知行高380貫,明暦3年没」
「中嶋意成(寛永13年就任),知行高350貫,慶安2年辞任」
「古内重広(寛永13年就任),知行高50貫,明暦3年隠居」
「石母田定頼(就任時期不明),知行高650貫,正保3年摂奉行職,江戸詰奉行」
「茂庭定元(慶安4年就任),知行高1125貫500文,寛文元年辞任」
「奥山常辰(承応3年就任),知行高306貫,寛文3年辞任」
「古内重安(明暦3年就任),知行高805貫,寛文元年没」
「津田景康(就任時期不明),知行高800貫,寛文11年逼塞」
「大條宗頼(万治元年就任),知行高300貫,寛文2年辞職」
「柴田朝意(万治3年就任),知行高240貫,寛文11年斬殺される」
「富塚重信(万治3年就任),知行高257貫600文,寛文11年免職逼塞」
※知行高は奉行職就任前のデータとなっています。なお,p.90に「(前略)役料は2000~3000石で本人の知行高がそれに満たない場合は在任期間中差額が補填される」とあります。
資料3 清水東四郎著『宮城県通史』宝文堂, 1976【K201/シ1-2】
pp.433-445「五、伊達家奉行任免表」
内容はほぼ上記資料2『仙台藩歴史事典』 に一致していますが,こちらの資料にのみ掲載されている人名がありましたので,ご参考までに紹介します。
pp.434-435「(前略)寛永十三年八月廿六日奉行タル者(中略) 茂庭周防良綱 慶安四年九月十五日隱居 奥山大學常良 慶安二年八月九日死
(中略)萬治元年十月十六日 片倉小十郎景長 茂庭周防延元 原田甲斐宗輔 遠藤文七郎俊信 (中略) 古内主膳重如
柴田内藏?朝 萬治三年十二月(後略)」
資料4 伊達邦宗著『伊達家史叢談 首巻』伊達邦宗, 1922【K200.8/タ1/1】
奉一丁-奉七丁「自慶長五年至明治元年仙臺藩奉行一覽表」中に奉行職の人名がありますが,呼称のみ掲載されている欄がほとんどのため,就任時期が不明です。
資料5 平重道編『伊達治家記録 4』宝文堂出版販売, 1974【K205/タ3/4】
pp.51-64「解説-三、巻之三(寛永十七年-同十九年忠宗四十二・三・四歳)」の項
p.56「(寛政18年)五月十一日,帰国の御暇を賜う,当家の系図を献上,同日江戸屋敷留守中掟書を渡さる」中に、当時の「公儀使」に関連した記述がありました。
「(前略)同日(五月十二日)藩主帰国中の江戸屋敷御留守中掟書が御留守居片平重綱・公儀使久世九左衛門に渡されたが,全部で十三条から成り,門の出入,火の用心,町宿停止,湯風呂,町アルキは許可を受けること,屋敷中に他所者を置いてはならないこと,見物堅く禁止のこと,博奕双六など勝負事停止のことと,藩主留守中の藩士の行動をいましめたものであった。(後略)」
なお,次項「六月二十六日江戸下屋敷召上げらる」にも,「公儀使久世九左衛門」の名前が見られます。
またpp.60-61「(寛永十九年四月十三日)奉行,目付に対する留守中の条目」の項には,忠宗から奉行衆に宛てた条目の内容が記されており,奉行の勤めに関わる心がけについて述べられています。
資料6 平重道編『伊達治家記録 5』宝文堂出版販売, 1974【K205/タ3/5】
pp.19-27「解説-六,巻之六(正保四年,慶安元年,忠宗四十九・五十歳)」の項
p.20「奉行石母田宗頼死去」中に,石母田宗頼・茂庭周防・中嶋監物・津田豊前など奉行職の人物名が挙げられています。
pp.49-62「解説-九,巻之九(承応三年-明暦三年,忠宗五十六・七・八・九歳)の項
p.60「(明暦三年)三月,四月の忠宗の動静,古内重広隠居,僧侶の談議聴聞」中に,「(前略)四月朔日古内主膳重広隠居し,嗣子肥後重安に主膳知行高の内八百貫文を以って家督仰付られ,奉行職に任じ,(後略)」とあります。
また,p.61の「奉行津田豊前頼康死没,江戸において,麻布白金台に屋敷を賜う,七月小野田に鷹野に出かける,気仙郡浜田邑で百姓四郎七ら三人磔刑となる」中に,「五月二日奉行津田豊前頼康の病気重態の由を聞き,豊前知行の内八百貫文を適子玄蕃景康に賜うて家督に立て,(中略)九月十四日江戸において奉行茂庭周防定元登城,御本屋敷の替地として麻布白金台に屋敷を賜う旨仰出された。(後略)」とあります。
pp.82-90「解説-二,巻之中(万治二年五月-三年二月,綱宗二十,二十一歳)」の項
p.83「綱宗の初入部とその行列」中に,「(前略)江戸留守居には柴田内蔵助朝親,出入司に木村久馬重成が任命された。(後略)」とあります。
資料7 平重道編『伊達治家記録 6』宝文堂出版販売, 1975【K205/タ3/6】
pp.1-13「解説-一,肯山公治家記録全書前編巻之一(万治三年八月二十五日-寛文元年十二月綱村二歳)」の項
p.4「幕府より条目を授けらる」中に,「同じ(万治三年)八月二十九日,公儀使遊佐九郎右衛門景成が評定所に招かれ,老中,寺社奉行列座の席で,稲葉美濃守正則から五箇条の条目覚を授けられた。(後略)」とあります。
また,p.6「十二月二十五日家督相続の御礼,この月奉行を新任」中に,「十二月二十五日家督相続の御礼として,公方へ太刀基近,綿五百把,白銀五百枚献上,使者は原田宗輔,伊達宗勝・田村宗良も公方に拝謁,片倉小十郎・茂庭周防・原田甲斐の三奉行も銀馬代を献じ,独礼伏謁した。この日柴田内蔵祐朝親と冨塚内蔵允重信が奉行職に任ぜられたが,両人とも三百貫文に加増し,立花忠茂朝臣と相談し,老中酒井雅楽頭に告達して発令された。」とあります。
また,pp.11-12「この年の注目すべきできごと,茂庭定元と奥山大学」中に,「(前略)茂庭氏は天正十三年人取橋の役に先祖良直が戦死して以来の勲功の家柄で,(中略)定元は慶安四年九月忠宗の時奉行となり,禄高一万三千四百余石で,三代藩主綱宗の信任を受け,江戸詰奉行として権勢があったが,(後略)」とあります。
資料8 本田勇編著『史料仙台伊達氏家臣団事典』本田勇, 2003【K288/2003.2】
資料2と同じ一覧表が掲載されています。
資料9 斎藤鋭雄著『仙台藩役職任免一覧 1』斎藤鋭雄, 1979【K318/サ3/1】
p.63に天正14年から延宝5年まで(就任時期)の奉行職一覧,p.66に明暦3年から延宝8年まで(就任時期)の公儀使一覧が掲載されています。
資料10 吉田真夫[著]『仙台藩奉行職の成立と展開』吉田真夫, 1995【K322/1995.3】
仙台藩草創期から忠宗時代までの奉行職体制や奉行職に就いた人物の出自や禄高について詳しく分析・考察した資料です。
p.326に「(前略)寛永十五年十二月六日,江戸詰の奉行・古内主膳と中島監物から仙台の奉行に対して書状が送られると(後略)」とあります。
その他,下記資料11-15をお調べしましたが,「江戸詰奉行」「公儀使」に関する記述は見あたりませんでした。
資料11 菊地勝之助著『宮城県郷土史年表』宝文堂出版販売, 1972【K200.3/キ1-4】
資料12 J.F.モリス著『仙台藩「留主居」役の世界』蕃山房,2015【K205/2015.6】
資料13 平川新編『江戸時代の政治と地域社会 第1巻』清文堂出版, 2015【K205/2015.3/1】
資料14 児玉幸多監修; 品川区立品川歴史館編『江戸大名下屋敷を考える』雄山閣, 2004【K205/2004.8】
資料15 品川区立品川歴史館編『しながわの大名下屋敷』品川区教育委員会, 2003【K205/2003.X】
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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- 仙台郷土研究会∥編. 仙台藩歴史用語辞典. 仙台郷土研究会, 2015.6【K205/2015.6】:
- 仙台郷土研究会∥編. 仙台藩歴史事典. 仙台郷土研究会, 2012.1【K205/2012.1】:
- 清水東四郎/著. 宮城県通史. 宝文堂, 1976【K201/シ1-2/ウ】:
- 伊達邦宗/著. 伊達家史叢談 首巻. 伊達邦宗, 1922【K200.8/タ1/1】:
- 平重道/編. 伊達治家記録 4. 宝文堂出版販売, 1974.6【K205/タ3/オ4】:
- 平重道/編. 伊達治家記録 5. 宝文堂出版販売, 1974.12【K205/タ3/オ5】:
- 平重道/編. 伊達治家記録 6. 宝文堂出版販売, 1975.11【K205/タ3/エ6】:
- 本田 勇/編著. 史料仙台伊達氏家臣団事典. 本田勇, 2003.2【K288/2003.2】:
- 斎藤 鋭雄/著. 仙台藩役職任免一覧 1. 斎藤鋭雄, 1979【K318/サ3/1】:
- 吉田 真夫/[著]. 仙台藩奉行職の成立と展開. 吉田真夫, 1995.3【K322/1995.3】:
- 菊地勝之助/著. 宮城県郷土史年表. 宝文堂出版販売, 1972【K200.3/キ1-4/イ】:
- J.F.モリス?著. 仙台藩「留主居」役の世界. 蕃山房, 2015.6【K205/2015.6】:
- 平川/新?編. 江戸時代の政治と地域社会 第1巻. 清文堂出版, 2015.3【K205/2015.3/1】:
- 児玉/幸多∥監修 品川区立品川歴史館∥編. 江戸大名下屋敷を考える. 雄山閣, 2004.8【K205/2004.8】:
- 品川区立品川歴史館∥編. しながわの大名下屋敷. 品川区教育委員会, 2003.10【K205/2003.X】:
- キーワード
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- 仙台藩 -- 藩政
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000320356