レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年07月25日
- 登録日時
- 2022/07/13 13:07
- 更新日時
- 2022/07/26 11:41
- 管理番号
- 中央-1-0021544
- 質問
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解決
第二次世界大戦時、日本の同盟国であったイタリアとドイツが連合軍に降伏した事実(情報)を、日本国民はいつ、どのように(メディア等)知らされたのか、あるいは知らされなかったのか知りたい。
- 回答
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下記の資料を紹介した。
■図書
(1)『NHK報道の50年 激動の昭和とともに』「NHK報道の記録」刊行委員会/著 近藤書店 1988年
p.46~47「ニュースの内容を調べてみよう」には、「イタリア降伏のニュースが公表されたのは九月八日である。日本では九日午後三時のニュースで報道された。しかし、この大ニュースも、夜七時では日本軍の戦果を誇大に伝えるニュースのあとに置かれている。」とある。
p.48~「ニュースの編集方針はどうだったか」には、「それにしても同盟国イタリア降伏の扱いが小さいのは、“聖戦完遂”に支障があるとの判断によるものであろうか。新聞はかなりの紙面をさき、イタリアの“裏切り”と非難し、これによって日独の同盟関係がかえって強化されると強調している」とある。
(2)『敗戦前日記』中野重治/著 中央公論社 1994年
小説家・中野重治氏の戦時期の日記を収録した資料。
p.442 1943年(昭和18年)九月九日の日記に「イタリヤ降服の報」とあり、その補足説明として以下の記述がある。
”九月十日『朝日新聞』夕刊には「イタリア無条件降伏」「イタリア政府はイタリア軍が反枢軸国に対し無条件降伏を受諾したる旨、八日正式に発表した」とある。”
(3)『新聞は戦争を美化せよ! 戦時国家情報機構史』山中恒/著 小学館 2001年
p.643に、昭和17(1942)年11月27日付の情報局極秘文書「大東亜戦争の現段階に即応する輿論指導方針」が掲載されている。p.708には昭和20(1945)年1月30日版がある。
p.745~750「4 ドイツ敗れたり、されど」には、1945年4月30日のヒットラーの死に関する記事論評は略歴なども含めて5月3日まで不可だったという記述や、前例としてムッソリーニ失脚の際にも情報局は同様の記事差し止めをしていたという記述がある。
p.747~では、情報局の記事指導をくぐり抜けてドイツの降伏問題を取り上げた5月9日の朝日新聞の社説を引用紹介している。
(4)『ニュース・エージェンシー 同盟通信社の興亡』里見脩/著 中央公論新社 2000年
p.185~186に、同盟ベルリン支局長の江尻進についての記述がある。
(以下一部抜粋)
「(略)ヒトラーの自殺とその後の戦局情況など三本の英文電をチューリッヒ経由で打電したのが、ベルリン支局の最後の打電となった。」日本の新聞にヒトラーの自殺が掲載されたのは、この江尻の打電した同盟原稿である。
■インターネットから閲覧できる資料(最終確認日:2022年7月26日)
・外務省ホームページ「日本外交文書デジタルコレクション 太平洋戦争 第1冊」
(トップページ > 外務省について > 組織案内・所在地 > 外交史料館 > 日本外交文書 > 日本外交文書デジタルコレクション > 日本外交文書デジタルコレクション 巻号一覧 > 日本外交文書デジタルコレクション 太平洋戦争 第1冊)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_001052.html
このうち、「三 対独伊関係」の「2 独伊の降伏(PDF)」には、独伊両国の降伏をめぐる日本側の諸措置に関する文書が採録されている。
なお、上記(2)、(3)の資料で紹介されている記事は、朝日新聞の記事検索データベース「聞蔵Ⅱビジュアル(現:朝日新聞クロスサーチ)」で閲覧できる。
●1943年9月10日 東京/夕刊 1P
「イタリア無条件降伏 バドリオ・休戦布告 今暁遂に停戦す」
「伊、盟約を裏切れるも、帝国必勝の信念不動」
●1945年5月9日 東京/朝刊 1P
「欧州戦、遂に終了 独の全軍降伏す」
「社説/独軍の降伏」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- ジャーナリズム.新聞 (070 10版)
- 放送事業 (699 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 第二次世界大戦
- 戦時報道
- イタリア降伏
- ドイツ降伏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000318729