レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/02/14
- 登録日時
- 2022/03/08 00:30
- 更新日時
- 2022/03/08 00:30
- 管理番号
- 6001054814
- 質問
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解決
緒方洪庵の『扶氏経験遺訓』・『扶氏医戒之略』の活字になった資料が見たい。
- 回答
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まず『扶氏経験遺訓』と『扶氏医戒之略』について調べてみました。
■『洋学史事典 日蘭学会学術叢書』(日蘭学会/編 雄松堂出版 1984)
「扶氏経験遺訓」の項(p.617)によれば、『扶氏経験遺訓』は「緒方洪庵(第一巻冒頭に『緒方章公裁、義弟郁子文同譯』とある)訳述、三十巻(本編二十五巻、薬方編二巻、附録三巻)安政五-文久元年(一八五八-一八六一)刊。」とあり、ドイツの医学者フーフェランドの「Enchiridion Medicumの第二版」の蘭訳を翻訳したものです。ただ「附録の二編は、杉田成卿がそれぞれ『済生三方』」「『医戒』」「と題して翻訳刊行」しており、緒方洪庵は「主体である本編と薬方編を訳した。」とあります。また「『附録』三巻は原本附録の翻訳でなく、洪庵が任意に選んだ事項を集めたものである。」とあります。
「扶氏医戒之略」については、緒方洪庵が「原本の『医戒』にもとづきながら自由に抄訳した」ものとあります。
■『新修大阪市史 第4巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1990)
「第四章 近世後期の文化 第二節 洋学 3 幕末の洋学 緒方洪庵と適塾」(p.688-690)に次の記載があります。
「洪庵は、フーフェランドの書の巻末にある『医戒』の大要を一二条にまとめ、『扶氏医戒之略』として自戒のものとした。医は仁術という観点から、自らの信条を重ね合わせたものと思われる。」(p.690)
■『緒方洪庵 人物叢書 新装版』(梅溪昇/著 吉川弘文館 2016.2)
「第五 蘭医学書の翻訳と洪庵 二 洪庵の学問的業績 3 第三著作『扶氏経験遺訓』」(p.140-147)に『扶氏経験遺訓』について記載があります。また、「第六 大坂除痘館の開業とジェンナー牛痘法の普及 四 洪庵の医学観 2 洪庵の自戒としての『扶氏医戒之略』」(p.181-186)によると、杉田成卿の『医戒』の翻訳が難解だったのに対し、「洪庵は、この箇所を、『扶氏経験遺訓』の中に入れず、別に十二ヵ条の『扶氏医戒之略』と題して、できるだけ難解な漢文字を避け、誰でも一読で意味が理解できる日本文に仕上げている。」(p.181)
■『緒方洪庵と適塾』(梅渓昇/著 大阪大学出版会 1996.10)
「第一章 緒方洪庵と蘭医学 3 洪庵の学問的業績」(p.14-26)に『扶氏経験遺訓』について記載があります。(p.18-21)また、p.23-26に「扶氏医戒之略」について記載があり、「洪庵の学問思想を示すもの」であり、「『扶氏経験遺訓』の原著Enchiridion Medicumの巻末にある『医師の義務』と題する付録の一篇に感動してこれを抄訳し、一八五七年(安政四)に一二ヵ条の格調の高い、美しい日本文に要約したものである。」とあります。(p.23)
■『国書総目録 第7巻 ふ-よ 補訂版』(岩波書店 1990.9)
p.62「扶氏経験遺訓」の項があります。写本や版本の所蔵館を調べることができますが、活字本の情報は載っていません。
〇『扶氏経験遺訓』について
『扶氏経験遺訓』ついては次の資料に翻刻がありました。
■『緒方洪庵全集 第1巻 扶氏経験遺訓』(緒方洪庵/[著] 大阪大学出版会 2010.11)
■『緒方洪庵全集 第2巻 扶氏経験遺訓』(緒方洪庵/[著] 大阪大学出版会 2010.11)『扶氏経験遺訓』が翻刻されています。
凡例によれば、「安政四年(一八五七)から文久元年(一八六一)にかけて出版された刊本(大阪大学附属図書館蔵)を底本とした」とあります。第一巻に『扶氏経験遺訓』の「巻之一~巻之二十」、第二巻に『扶氏経験遺訓』の「巻之二十一~巻之二十五、附録巻之一~巻之三、薬方編巻之一・巻之二」が収められています。
〇『扶氏医戒之略』の全文について
■『扶氏醫戒之畧 [1] 公裁謹誌』(適塾記念会 1969.8)
■『扶氏醫戒之畧 [2] 公裁謹誌』(適塾記念会 1969.8)
■『扶氏醫戒之畧 [別冊] 公裁謹誌』(適塾記念会 1969.8)
『扶氏醫戒之畧 [1] 公裁謹誌』と『扶氏醫戒之畧 [2] 公裁謹誌』は、複製の資料になります。(巻物になっています。)[別冊]は冊子の資料で、「扶氏医戒之略」の全文が活字で掲載されています。(p.8の後の折り込み部分)
■『緒方洪庵 人物叢書 新装版』(梅溪昇/著 吉川弘文館 2016.2)
上述の資料です。「第六 大坂除痘館の開業とジェンナー牛痘法の普及 四 洪庵の医学観 2 洪庵の自戒としての『扶氏医戒之略』」(p.181-186)に「洪庵みずから初稿文を朱と墨で再三校訂した『扶氏医戒之略』は、横に長い巻軸仕立である。洪庵本人が校訂したその全文を示しておく」(p.181)として全文が掲載されています。(p.182-185)なお、この全文は、「原文のカタカナはひらがなに、また現代仮名遣いに改め、漢字に振り仮名をつけ、濁点、句読点を付した。」とあります。
■『緒方洪庵と適塾』(梅渓昇/著 大阪大学出版会 1996.10)
上述の資料です。「第一章 緒方洪庵と蘭医学 3 洪庵の学問的業績」(p.14-26)に「扶氏医戒之略」について記載があり(p.23-26)、「洪庵自筆の二点が現存していて、緒方家所蔵のものは、横に長い巻軸であって、朱と墨で訂正加筆、推敲のあとがみられる稿本である。今、推敲されたものを示すと以下のとおりである」として「扶氏医戒之略」の全文が記載されています。(p.23-26)なお、この全文は振り仮名がありますが、「原文ふりがななし」とあります。
■『緒方洪庵伝』(緒方富雄/著 岩波書店 1980)
「第五章 人としての洪庵 七 洪庵の『扶氏医戒之略』」(p.146-149)に全文が掲載されています。
●冨安廣次「緒方洪庵『扶氏医戒之略』—億川家、緒方家、跡見家各所蔵の比較—」(『適塾』<18> 適塾記念会 1985.12)p.133-141
「洪庵の『扶氏医戒之略』については一般には緒方家所蔵の修正後のものが知られているが、億川家、緒方家修正前、跡見家のものを含めて四点を比較検討することとする。」として、4点の『扶氏医戒之略』が四段に分かれて記載されています。
■『福沢諭吉と渋沢栄一:学問と実業、対極の二人がリードした新しい日本 青春新書INTELLIGENCE』(城島明彦/著 青春出版社 2020.8)
「第一章 青雲の志<幼少期~青春初期> 『医は仁術』に学ぶ」(p.46-51)に『扶氏医戒之略』の現代語訳が掲載されています。(p.48-51)
〔事例作成日:2022年2月14日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 科学史.事情 (402 10版)
- 医学 (490 10版)
- 参考資料
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- 洋学史事典 日蘭学会∥編 雄松堂出版 1984 (617)
- 新修大阪市史 第4巻 新修大阪市史編纂委員会∥編集 大阪市 1990 (690)
- 緒方洪庵 梅溪/昇‖著 吉川弘文館 2016.2 (181-186)
- 緒方洪庵と適塾 梅渓/昇∥著 大阪大学出版会 1996.10 (18-21、23-26)
- 国書総目録 第7巻 補訂版 岩波書店 1990.9 (62)
- 緒方洪庵全集 第1巻 緒方/洪庵∥[著] 大阪大学出版会 2010.11
- 緒方洪庵全集 第2巻 緒方/洪庵∥[著] 大阪大学出版会 2010.11
- 緒方洪庵伝 第2版増補版 緒方/富雄∥著 岩波書店 1980 (146-149)
- 適塾 適塾記念会 適塾記念会 16-18
- 福沢諭吉と渋沢栄一 城島/明彦‖著 青春出版社 2020.8 (48-51)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 業務
- 登録番号
- 1000313225