レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年11月23日
- 登録日時
- 2022/03/01 14:48
- 更新日時
- 2022/03/24 16:55
- 管理番号
- 大分県立郷土-2021-034
- 質問
-
解決
岡城、日出城の月見櫓について、目的、形状、名前の由来、月見の宴などの記録、位置などがわかる資料はあるか。
- 回答
-
●岡城・日出城の両方が載った資料として、以下を紹介。
【1】『大分百科事典』 大分放送大分百科事典刊行本部/編 大分放送 1980.12
岡城
p119 「二ノ丸には御月見櫓と御風呂屋という風流な建物が2基建てられていた。」
日出城
p641 「完成した城の本丸は南北約109m、東西約58mで(中略)西北に二重の月見櫓、東北に二重櫓(東北隅を欠き移築現存)、東に裏門櫓(移築現存)がすべてへいで結ばれ堂々たる景観であった。」
【2】『日本城郭大系 第16巻 大分・宮崎・愛媛』 平井聖/〔ほか〕編 新人物往来社 1980.3
岡城
p131 「二の丸の月見櫓は二階建、階上は十四畳敷、階下は表座敷十二畳、浦座敷が七畳半で、秋の名月の夜には藩主・家老職・側近などが集まって月見の宴を催したものであろうか。しかし平素は北方の見張所の役を果たしたようだ。」
日出城
p65 「北側の大手門から望むと右手(西)に月見櫓、左手に隅櫓(いずれも二層)があった。」
図版19 豊後国日出城絵図(内閣文庫藏)
【3】『日本城郭全集 13』鳥羽正雄/〔ほか〕編集、人物往来社 1967.2
岡城
p229 「三層の天守閣、月見櫓、太鼓櫓の豪華さ、城の中央、天守台の下に施された抜け穴と万端を配したそれは、まさに三十万石は有する大大名のものであった(中川氏の当時の禄高は七万石にすぎなかった)。」
日出城
p285 (本丸の説明)「また西北隅には二重の月見櫓があったが、この櫓については未詳である。おそらく風流な名からして、内部も変化に富んだものであったろう。」
【4】『復元大系日本の城 8 九州・沖縄』 北野隆/〔ほか〕編 ぎょうせい 1992.9
岡城
p88~99 (岡城復元図の説明)「二の丸は三角形の地形で、最も張り出した三角形の頂点部に外観二層で上層二層には高欄を回した杮葺月見櫓が建てられ・・・・・・」
その他「岡城本丸平面図」や「岡城屏風絵」などの資料も掲載されている。
日出城
p108~115 復元図に月見櫓があるが、説明等は特にない。
●岡城の月見櫓に関する資料
【5】『史跡岡城跡保存管理計画策定事業報告書 昭和59年度』 竹田市教育委員会/編・発行 1985.3
p64~80 第2節 岡城跡の城郭建築
当時の岡城を表しているとみられる2つの史料(下記)から、明和8年の大火で焼失する前の岡城の建築について詳しく書かれている。内容は以下のとおり。
(Ⅰ)「岡城御火災に付、二月二十一日、御用番板倉佐渡守様江被差出御届書」『中川史料』(p72~73)
(Ⅱ)「岡城屏風絵」(仮題)(竹田市立歴史資料館)(p74~76)
図10 本丸、二の丸、三の丸御殿平面図(竹田市立図書館蔵)
また、以下のように櫓の形状についても記述がある。
p66「特に二階造になる「月見櫓」は、数寄屋風の意匠からなっていたことが察せられる。「屏風絵」に「月見櫓」風の建物が描かれているが、屋根は桧皮葺になり、二階には高欄が廻っていた。」
p69 「貴重な史料である「月見櫓」は、二階からなり、一階は4間×3間の広さで、2間×3間の若松の絵が描かれた部屋と1間半×3間の納戸からなっていた。二階は2間半×3間半の一部屋で、外側は廻縁になり、高欄が付けられていた。」
【6】『史跡岡城跡保存整備基本設計 昭和62年度 』竹田市教育委員会/編・発行 1988
【5】に掲載されている「岡城屏風絵」(p60 ※この資料では「明和8年絵図」)や、「本丸、二の丸、三の丸御殿平面図」(p66)などの掲載あり。
また、付属冊子の『岡藩絵図 資料編1』(岡城本丸平面図)中に「御月見櫓」が描かれている。
【7】『岡藩 シリーズ藩物語』村上 貞徳/著 現代書館 2011.3
p59~63 「華麗なる“臥牛城”の城郭と施設」中に「二の丸月見櫓」の記述あり。
【8】『詩情豊かな岡城物語 再版』 北村 清士/著・発行 1978.9
p18~19 二の丸 月見櫓
p40 月見櫓のおばけ
●日出城の月見櫓に関する資料
【9】『大分県指定史跡 致道館保存修理工事報告書』 日出町教育委員会 2015.3
p2~3 第2節 日出城(暘谷城)
「本丸は、藩主御殿を中心に大手門、搦手門、天守、そして土居(石垣)上に望海楼(久頓櫓)、渡り櫓、月見櫓(金物櫓)、裏門櫓、鬼門櫓(隅櫓)が築かれた。」
【10】『日出図跡考 下 増補註訂』 二宮六郎兼善/揖 辻治六/註補 日出町立萬里図書館 1953
p54~66(2)本丸(側面図等に月見櫓あり)
p61 「月見櫓(金物櫓ともいふ) 大手門の西北隅にある二階建てなり。其の太さ明かならざるも隅櫓と同じ位なりしならん。」
- 回答プロセス
-
1.城郭に関する資料確認
2.大分県の事典類確認
3.岡藩(岡城)、日出藩(日出城)に関する資料確認
4.市町村史類、地方史類確認
- 事前調査事項
-
・国立公文書館デジタルアーカイブ正保城絵図「豊後国日出城絵図」
・『竹田市史 中巻』竹田市史刊行会、1984、p.23
・ディアゴスティーニ『週刊 日本の城No.108』
- NDC
-
- 日本の建築 (521)
- 参考資料
-
-
大分放送大分百科事典刊行本部 編 , 大分放送. 大分百科事典. 大分放送, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001498878-00 (p119,641) -
平井聖 [ほか]編修 , 平井, 聖, 1929-. 日本城郭大系 第16巻. 新人物往来社, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001447037-00 (p131,65) -
鳥羽正雄 等編 , 鳥羽, 正雄, 1899-1979. 日本城郭全集 第13. 人物往来社, 1967.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000897913-00 (p229,285) -
北野隆 [ほか]編 , 北野, 隆, 1940-. 復元大系日本の城 8. ぎょうせい, 1992.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002250476-00 , ISBN 4324031967 (p88~99,108~115) -
竹田市教育委員会編 , 竹田市教育委員会. 史跡岡城跡 昭和59年度. 竹田市教育委員会, 1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I010225973-00 (p66,69,72~73,72~73,図10) -
竹田市教育委員会 編 , 竹田市教育委員会. 史跡岡城跡保存整備基本設計 昭和62年度. 竹田市教育委員会, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001927401-00 (p60,66,『岡藩絵図 資料編1』) -
村上貞徳 著 , 村上, 貞徳, 1951-2011. 岡藩 : 「荒城の月」旋律と京風町並み。中川氏が選択した豊饒の地は見事に華開く。. 現代書館, 2011. (シリーズ藩物語)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011151793-00 , ISBN 9784768471258 (p59~63) -
北村清士 著 , 北村清士. 詩情豊かな岡城物語 再版. 〔北村清士〕, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069073539-00 (p18~19,40) -
Y. O設計1級建築士事務所 編 , YO設計. 大分県指定史跡致道館保存修理工事報告書. 日出町教育委員会, 2015. (日出町文化財報告書 ; 第6集)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026708511-00 (p2~3) -
二宮六郎兼善 揖 ; 辻治六 註補 , 二宮, 兼善 , 辻, 治六. 日出図跡考 下 増補註訂. 日出町立萬里図書館, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086866375-00 (p54~66,61)
-
大分放送大分百科事典刊行本部 編 , 大分放送. 大分百科事典. 大分放送, 1980.
- キーワード
-
- 月見櫓
- 岡城
- 日出城
- 暘谷城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000312750