レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年11月1日
- 登録日時
- 2022/01/25 19:03
- 更新日時
- 2022/02/24 14:11
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2021-010
- 質問
-
未解決
昭和6~10年の、名鉄「桶狭間」駅(今はない)近くにあった、豊明台という土地分譲について調べている。資料があったら紹介してほしい。
- 回答
-
以下の資料で調べましたが、残念ながら詳しい資料は見つかりませんでした。
1)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道広報宣伝部/編纂 名古屋鉄道 1994 p.866
2)『[名古屋市]緑区誌区制50周年記念』 緑区制50周年記念事業実行委員会/編さん 緑区制50周年記念事業実行委員会 2014 p.343-344
3)『[愛知電氣鐵道株式會社]報告書 第39回』 愛知電氣鐵道 1930
4)『東邦学園五十年史』東邦学園/編 東邦学園 1978 p.48,943
5)25000分の1地形図「鳴海」の図歴
- 回答プロセス
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1)2)によりますと、最寄りの桶狭間駅は1931(昭和6)年4月から1934(昭和9)年12月まで愛知電気鉄道(今の名鉄名古屋本線)にあった駅のようでしたので、そのくらいの年代の資料を探しました。
3)の「愛知電鉄線路図」によりますと、鳴海と有松の間に“住宅地”の記述がありますが、この資料の中で「なるみ荘」についての記述はありましたが、豊明台についての記述はありませんでした。
利用者が持参した当時の分譲地の広告を見ると、豊明台に隣接して「新有松野球場」があり、「東邦商業学校 下出義雄氏 所有」と書かれていましたので、関連資料を調べました。2)によりますと、1931(昭和6)年5月に、“新有松球場で開場記念3中等学校リーグ戦開かれる”との記述が見られます。また、4)によりますと、昭和7年3月に「桶狭間運動場」として、野球部の練習などにあてていたとの記述がありますが、新有松野球場という呼称や関連する記述は見当たりませんでした。豊明台と関連する記述も見当たりませんでした。
利用者が持参した当時の分譲地の広告と、5)の地形図に載っていた土地の区割りが一致しました。地形図を年代順にたどって土地の変遷を調べていくと、分譲地が戦後中京競馬場になったことが確認できました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
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名古屋鉄道株式会社広報宣伝部/編さん , 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部. 名古屋鉄道百年史. 名古屋鉄道株式会社, 1994.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I088051182-00 -
緑区制50周年記念事業実行委員会 編さん , 緑区制50周年記念事業実行委員会. 緑区誌 : 区制50周年記念. 緑区制50周年記念事業実行委員会, 2014.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I096638976-00 -
[愛知電氣鐵道株式會社]報告書 第39回. 愛知電氣鐵道, 1930-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I110878696-00 -
東邦学園 編集 , 東邦学園 , 尾崎/久弥. 東邦学園五十年史 別冊. 東邦学園, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I056464142-00
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名古屋鉄道株式会社広報宣伝部/編さん , 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部. 名古屋鉄道百年史. 名古屋鉄道株式会社, 1994.
- キーワード
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- 名古屋市-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000311173