レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月12日
- 登録日時
- 2021/06/16 11:51
- 更新日時
- 2021/10/03 13:27
- 管理番号
- 2021-11
- 質問
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解決
明治25年4月末の池内正忠(当時久松家家令・高浜虚子の長兄)の高浜虚子宛手紙に、久松家を語る場面があり、久松家に対して「大殿様」「殿様」「定謨様」という表現が出てきた。「大殿様」「殿様」とはだれか。
- 回答
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大殿、殿、は明確ではないが、【資料3】の中で定靖について、「若君」「靖公」「久松ぎみ」「定靖公」「定靖君」「大名の若君」等と表記がある。
また、明治30年夏御長逝とある。
【資料2】に、写真があり「久松定靖 勝成の実子」とある。
久松家当主等の生没年は次のとおり。
久松勝成(13、15代当主)
1832(天保3)-1912(明治45) 80歳没
久松定昭(14代当主)
1845(弘化2)-1872(明治5) 27歳没
久松定謨(16代当主)
1867(慶応3)-1943(昭和18) 77歳没
久松定靖(勝成の実子)
1873(明治6)-
- 回答プロセス
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久松家関係資料を調査。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『久松定武は語る 八十六歳の誕生を迎えて』「久松定武は語る」刊行会 1985 <当館請求記号:K289-ヒサ-1985>
- 【資料2】『伊予松山の城主 第8回特別企画展』 松山市立子規記念博物館 1984 <当館請求記号:K293.1-イヨ-1984>
- 【資料3】『久松定靖公と正岡子規』 和田茂樹(「星」 第16巻7号 平成6年7月 星発行所) <当館請求記号:H095-39>
- キーワード
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- 久松家
- 大殿様
- 殿様
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000300337