レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年09月12日
- 登録日時
- 2021/04/28 11:28
- 更新日時
- 2021/04/28 11:28
- 管理番号
- 福郷-132
- 質問
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解決
北九州市小倉南区にある鱒淵ダムは昭和48年頃にダムとなり、村が沈んだそうだが、そのことについてわかる資料はないか。
- 回答
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参考資料1『北九州市文化財調査報告書 第10集 北九州市教育委員会(北九州市教育委員会 1972) 頂吉(かぐめよし) -水底の村の在りし日— 鱒淵ダム建設により水底に没した頂吉の調査報告書』
この報告書そのものが沈んだ村の記録となっている。
参考資料2『ます渕ダム』
p.3事業の沿革に「地元関係者と連日の用地補償交渉を行い、理解と協力を得て、44年12月に補償基準の妥結をみた。翌45年に道路工事に着工するとともに、同年10月ダム本体工事に着手し、46年10月1日に本体コンクリートの打設を開始し、鋭意工事の進捗をはかり、48年2月にダムコンクリートの打設が完了、同年6月1日に湛水を開始し今日至っている。」とある。また、水没補償の項から水没家屋世帯数等がわかる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 技術史.工学史 (502 8版)
- 参考資料
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- 北九州市文化財調査報告書 第10集 頂吉(かぐめよし) 北九州市教育委員会 1972(自館資料コード1102621964)
- ます淵ダム 福岡県 1973(自館資料コード1104626070)
- キーワード
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- 鱒淵ダム
- ます渕ダム
- 頂吉
- かぐめよし
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000297652