レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020.11.17
- 登録日時
- 2021/02/28 00:30
- 更新日時
- 2021/02/28 14:19
- 管理番号
- 2020.01.017
- 質問
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解決
小平中央公園にある築山は当初からあったのか。もともとの地面は真っ平だったのか、あるいは地面が隆起していたところを利用して盛り土等をして築山になったのか。
- 回答
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①『小平市史 近現代編』(小平市,2013)p690に「蚕糸試験場跡地を子どもの遊び場として…1977年に中央公園として整備され開放された。(中略)1979年になると、市の運動公園として整備し直すことが決定し、運動競技場やアスレチック広場などが新たに作られることになった。」とある。小平市報には、②昭和53年5月5日号p1に「緑豊かな中央公園」の記事に基本計画図があり、築山が平面図として記されている。③昭和55年7月20日号p1に「小平中央公園の築造に着工」の記事に完成予想図があり、展望所が立体的に記され、「この公園は、…築山などの修景施設、ならびに児童のための遊戯施設で構成されています。」とある。
昭和52年7月20日号:意見公募(整備されるまでは野球広場として暫定的に利用(3月20日))
昭和52年10月20日号:意見集約、築山の設置を求める声が1件
昭和53年5月5日号:基本計画案がまとまり、公園全図が掲載される。公園の南西側、玉川上水を渡ってすぐのところに「築山」の記載あり。
昭和55年7月20日号:築造着工され、53年から少し変更された全図が載る。文面に「築山」あり。
→①②より、当初の計画から築山はあったと思われる。
③住宅地図
1964年~:現在の駐車場や噴水あたりに建物があり、その周囲や築山がある場所は桑畑あるいは畑の記号がある。
1983年:築山と思われる記号が出現する。
④『大正・昭和東京周辺1万分1地形図集成』(11362230)69p
該当箇所の地形図あり、等高線を見るとむしろ低い。
→③④より、もともと土地が盛り上がっていたわけではなかったのではないかと思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 地形学 (454)
- 参考資料
- キーワード
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- 公園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000294264