レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/12/25
- 登録日時
- 2021/01/29 00:30
- 更新日時
- 2021/01/29 00:30
- 管理番号
- 6001047951
- 質問
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解決
淀川の地名の由来について知りたい。
- 回答
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淀川の地名の由来については、次の資料に記載がある。
■『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
p.1258-1259に「淀川」の項があり、次のような記載がある。
「当川を淀川と呼ぶようになったのは江戸期に入ってからで,『五畿内志』では淀河と書き,以後,淀河あるいは淀川と記されるようになった。また,澱川(よどがわ)・澱江(でんこう)と記すこともあった。江戸期以前には近江川とか山城川とも呼ばれたが,沿岸各地でさまざまに呼ばれていたようである。『古今集』では山城の淀の辺りを詠んだ歌で淀川といい,平安末期の『扶桑略記』では山崎川,『万葉集』では取替川などと見える。さらに『日本書紀』仁徳天皇の条には大和川を南水とするのに対して当川を北の河と記しており,『古事記』は鵜河としている。」(p.1258)
■『日本歴史地名大系 28‐[1] 大阪府の地名』(平凡社 1986.2)
p.32-36に「淀川」の項がある。そのうちp.33には「呼称」との小見出しで、淀川の名称の来歴がまとめられており、次のような記述がある。
「淀川の名称は『日本紀略』延喜18年(918)8月17日条に『淀河水如海岸流、(中略)』と初見するほか、同書長徳元年(995)10月21日条、(中略)などにもみえる。」
「京都盆地の最低部に巨椋池があり、(中略)平安京造営後にこの湖水の北に与等津(よどのつ)(淀津、現京都市伏見区)が設けられた。(中略)淀津は淀川流域のみならず、南西日本における最も重要な水陸交通の要地として繁栄する。淀川の名称はこの淀の地名に由来するもので、平安時代に入ってから一般化したものであろう。」
■『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』(平凡社 1979.9)
「淀城下」(p.438-440)の項目に次の記載がある。
「淀はかつては木津川・宇治川・桂川の三川合流地点であり、巨椋池の下流とも連なり、淀川の起点でもあった。『拾遺都名所図会』は、『京師より南の方三里にあり。(中略)淀はよどみをいふ。水の流もやらでとゞこほり、ぬるくとまれるなり。それを淀といふ、河淀ともよめり。此淀川といふも、桂川、鴨川、宇治川、木津川等のおちあひて深ければ、よどみぬるくながるゝなり』と、水郷であったことを伝える。」(p.438)
■『淀川百年史』(建設省近畿地方建設局/編集 建設省近畿地方建設局 1974)
「淀の水車」の項(p.1764-1765)に次の記述がある。
「桂川,宇治川,木津川の3川が集った水に”淀川”という名がつけられたのは,この地点が昔は水のよどむ低湿地帯だったからである。(中略)淀は澱(よど)とも書き『水がよどむ』意味である。」(p.1764)
■三浦行雄「淀川今昔抄」『大阪春秋』3(2)<6>(大阪春秋社 1975.4)p.65-74
『大阪春秋』3(2)<6>は「特集・淀川」」号となっている。
「淀川は”淀”から流れて、大阪湾へ注ぐから淀川と称されている、としてみんなが納得している。琵琶湖から流れてくる宇治川、嵐山から流れてくる桂川、笠置から流れてくる木津川の三河川がここで合流していたことから、淀の地名や淀川の名が生れたものだろう。」(p.65)
[事例作成日:2020年12月25日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517 10版)
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- 角川日本地名大辞典 27 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1983.10 (1258)
- 日本歴史地名大系 28‐[1] 平凡社 1986.2 (33)
- 日本歴史地名大系 27 平凡社 1979.9 (438)
- 淀川百年史 建設省近畿地方建設局∥編集 建設省近畿地方建設局 1974 (1764)
- 大阪春秋 3(1-4)<5-8>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000293113