レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2021/01/21 16:22
- 更新日時
- 2021/03/31 10:05
- 管理番号
- 012
- 質問
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解決
市内にある玉台橋について、名前の由来を知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料「長ノ入の由来とお囃子の由来」(瀬崎林造∥著,1998)63ページに『「玉台」の地名の由来』という項目がありました。
「永禄年間、菅生城が城主の留守中、馬洗城主の横瀬長氏に襲われて脆くも落城したとき、菅生越前守の妻「おたまの方」は、その落城寸前にひそかに裏手より城を抜け出し、(中略)やっとの思いで鬼怒川の岸辺にたどり着いたとき、追っ手に捕まり、ついに首を打たれてしまいました。その哀れな最後をとげた話は、鬼怒川を行き交う人々の間に伝わり、この台地はいつしかおたまの方の「たま」を付して「たま台」「玉台」と呼ばれるようになったと伝えられています。」(『長ノ入の由来とお囃子の由来』から引用)
あわせて、おたまの方の供養碑の写真も掲載されていますが、いつ、誰の手によって建てられたものかは不明だそうです。
常総市ホームページから電子版で閲覧できるデジタルアーカイブ「広報みつかいどう第368号(1986年8月発行)」の「ふるさとシリーズ橋③玉台橋」にも、簡単にですが同様の記載があります。
(常総市ホームページ http://www.city.joso.lg.jp/index.html
ホーム>行政機構(各課の紹介>市長公室>秘書課>広報広聴係>業務案内> 常総市発行広報紙>広報常総>バックナンバー> 過去の広報紙がインターネットで閲覧できます)
永禄年間は、1558年~1570年(広辞苑第7版を参照)。
当館所蔵資料「日本歴史地名大系8 茨城県の地名」725ページ水海道市菅生村の項目を参照すると、「『東国戦記実録』には永禄四年(1561)の記事として「上野金山新田ノ麁流ニ横瀬能登守長氏ト云人アリ(中略)本国ヲ立退キ下総国ニ落来リ猿島郡弓田城主染谷民部ヲ頼テ岩井馬洗ト云処ニ蟄居シタリ(中略)然ルニ同所菅生城主菅生越前ト染谷ハ中惡ク稍モスレハ合戦ニ及ハントス(下略)」と記載があります。
菅生越前守およびその妻おたまの方について、詳細は不明でした。
- 回答プロセス
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1.所蔵検索 内容:「タマダイ」で検索。
2.当館所蔵資料「長ノ入の由来とお囃子の由来」(瀬崎林造∥著,1998刊)を参照。
3.当館所蔵資料「広辞苑第7版」( 新村 出∥編,岩波書店,2018刊)で永禄年間を参照。
4.常総市ホームページhttp://www.city.joso.lg.jp/index.htmlからデジタルアーカイブスを参照。
5.当館所蔵資料「日本歴史地名大系8 茨城県の地名」(平凡社,1982刊)を参照。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
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- 長ノ入の由来とお囃子の由来. 瀬崎林蔵, 1998.
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新村 出/編. 広辞苑 第7版. 岩波書店, 2018-01.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I081371586-00 , ISBN 9784000801317 -
茨城県の地名. 平凡社, 1982. (日本歴史地名大系)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065060863-00 -
小菅与四郎 編 , 小菅, 与四郎. 東国戦記実録. 小菅与四郎, 1908.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000431074-00
- キーワード
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- 玉台橋
- 菅生越前守
- おたまの方
- 常総市
- 水海道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 地名 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292757