レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年10月23日
- 登録日時
- 2021/01/11 13:19
- 更新日時
- 2021/01/14 17:43
- 管理番号
- いわき総合-地域620
- 質問
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解決
夏井川に架かっている六十枚橋のいわれについて
- 回答
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六十枚橋は、いわき市平下神谷字六十枚地区の夏井川に架けられた橋である。その名称は、江戸期~明治22年の下神谷村内にあった六十枚村に由来する。元禄9年の内藤検地図、天保3年の笠間藩磐城田村両郡村高覚、天保13年の手余荒地高並に家数取立額にも六十枚(六捨枚分)〇〇〇石余と記されている。現在も、字名として「六十枚」が用いられている。
「磐城郡村誌4」の下神谷村誌に、「字地に、牧野氏管治ノ時其近傍ヲ併セ六十枚村と称ス南夏井川ノ私渡場ニ近シ六十枚ノ渡ト唱ウル所以ナリ…」。また橋の節に、「…夏井川私渡場ニ出ツル路線ニ属スル小橋四所…第四橋字六十枚界ニアリ長六尺幅モ亦六尺皆溝流ノ路線ヲ断ツ處ヲ接続シ木板ヲ列スルニ過キヌ」とある。
村名「六十枚」のいわれについては、「いわき浜紀行」140p「六十枚と釜ノ後」(渡邉一雄氏文)の文中で、字名「六十枚」の語源由来には、諸説があるとし、以下の3つの説が紹介されている。
①「赤沼と六十枚」という伝説
「下神谷の御城(ミジョウ)地内の畑で、大きな赤大根ができた。ところが豪雨が降り続いて、大根を根こそぎ抜いて夏井の海へ流し去ってしまった。洪水が去ってから畑を見ると、赤大根が全くなくなり、その跡が大きな沼になっていた。むら人たちは、その沼に赤大根の赤をつけて赤沼と呼ぶようになった。その不幸と反対に、下流の人たちは流れてくる赤大根を見つけて激流の中から拾い上げ、それを刻んで切干しとしてむしろにならべたところ、六十枚のむしろを敷きしめてやっと干すことができた。」この伝説は、「写真で綴るいわきの伝説」に「赤沼と六十枚の起こり(平下神谷)」と題して、紹介されている。
②江戸へ送る米を小名浜の港に運ぶため、夏井川に橋をかけ、板を渡したら六十枚の板が必要になった。
③夏井地区は古代磐城郡の中心地。下大越の字石田には奈良時代の寺院(夏井廃寺)があり、その屋根瓦は蓮の葉をデザインしたもので、この瓦は小川町の梅ノ作瓦窯で焼かれた。瓦は夏井川を船かいかだに載せて下り、六十枚で降ろした。六十枚とは、瓦の包の単位か数を表したものであろうという説
- 回答プロセス
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・「角川日本地名大辞典」で、六十枚を探すと、下神谷村の項に、近世文書に登場する地名「六十枚」が確認できる。
・蔵書検索「六十枚」で「いわき浜紀行」がヒット。本文中の、六十枚のいわれに関する一節を参照した。
①説は、NDC388の棚で、いわきの昔話、伝説に関する資料の目次等にあたり、草野日出雄編著の「写真で綴るいわきの伝説」に「赤沼と六十枚の起こり」を確認。
②説、③説の出典は確認できていない。
「市道下小川梅ノ作線内埋蔵文化財発掘調査報告 梅ノ入瓦窯跡群 -陸奥国磐城郡古代窯跡の調査-」p97 「瓦の供給先として、最初に夏井廃寺があげられる。」と記述があり、夏井川を下って運ばれた瓦の荷が、夏井廃寺に近い沿岸で下ろされたと考えられている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 東北地方 (212 10版)
- 伝説.民話[昔話] (388)
- 参考資料
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吉田隆治編集 , 吉田, 隆治. いわき浜紀行. うえいぶの会, 2002.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I002545876-00 -
草野日出雄/編著. 写真で綴るいわきの伝説. はましん企画, 1977. (草野日出雄ふるさとシリーズ)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010455066-00 - 岩崎敏夫. 磐城岩代の伝説. 第一法規, 1976. p. 102p
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角川日本地名大辞典編纂委員会 編纂 , 角川日本地名大辞典編纂委員会. 角川日本地名大辞典 7. 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I025252911-00 - 大須賀次郎. 磐城郡村誌 4. 福島県, 1978.
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吉田隆治編集 , 吉田, 隆治. いわき浜紀行. うえいぶの会, 2002.
- キーワード
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- 六十枚橋
- 六十枚村
- 下神谷村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292180