レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年12月25日
- 登録日時
- 2020/12/25 16:55
- 更新日時
- 2021/01/19 16:09
- 管理番号
- 2012
- 質問
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解決
陸軍入隊後、広島市内の宿舎で被爆したという人に話を伺っていたところ、どの道を使って避難したのか疑問に思ったため当時の地図などがあれば見たい。また、その周辺についてわかる資料があればそちらも確認したい。
- 回答
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以下の資料を提供した。
①『呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック』奥本剛/潮書房光人社(217.6/オク/T)
②『語り伝えるヒロシマ・ナガサキ 第1巻』安斎育郎/新日本出版社(319/アン/P)
③『空中写真に遺された昭和の日本 西日本編』日本地図センター/創元社(210.7/ニホ)
- 回答プロセス
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まず、どのあたりに陸軍の宿舎があったのかを確認するためヒントを得るためネット検索をするも、宿舎と断定できるものは見つからず。
そのため、陸軍の拠点がどこなのか調べるためNDC217を直接ブラウジング。
①の資料を発見。みたところ現在の平和通りが戦時中市の防空体制の拠点となっていたことが分かる。
次にネット検索にて「広島 原爆 地図」で検索したところ、レファレンス協同データベースにて類似事例があり、そちらを確認。
その中から、②を確認したところ表紙見返しに地図と原爆投下個所からの被害範囲が記されていた。
また、「国際日本文化研究センター」の「所蔵地図データベース」にて1940年頃の地図を見ることができた(『大廣島市街地圖:最新』)。
業務システムでも同様のキーワードで検索したところ、③がヒットしこちらにはP83-93に昭和8年から平成3年までの地形図や空中写真が掲載されている。
他にも「ヒロシマ平和メディアセンター(中國新聞)」のHP( http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?lang=ja )にて「ヒロシマ被爆地図」のPDFが掲載、国土地理院のサイト( https://www.gsi.go.jp/ )でも当時の地図は確認できたが画像が荒いため詳細を見るのは難しいがこちらもご案内した。
※蛇足だがネット検索をしているなかで「似島」という単語が多くヒットした。「国際平和拠点ひろしま( https://hiroshimaforpeace.com/ )」を確認したところ、「似島と戦争・爆撃」という項に当時検疫所や高射砲陣地、陸軍燃料貯蔵基地などが建設・設置され、第二検疫所は臨時野戦病院となり被爆者を収容したとあった。もしかするとこちらへ避難したのではないかと推測し、情報として上記サイトをご案内した(移動方法なども体験者の絵とともに解説)。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 中国地方 (217 9版)
- 外交.国際問題 (319 9版)
- 参考資料
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呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック 増補改訂版. 奥本剛 著 , 奥本, 剛. 潮書房光人社, 2016.(217.6/オク/T)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027715685-00 , ISBN 9784769816348 -
(語り伝えるヒロシマ・ナガサキ : ビジュアルブック ; 第1巻) あの日、家族が消えた! : 広島への原爆投下. 安斎育郎 文・監修 , 安斎, 育郎, 1940-. 新日本出版社, 2004. (319/アン/P)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007526154-00 , ISBN 4406031138 -
空中写真に遺された昭和の日本 : 戦災から復興へ 西日本編. 日本地図センター 編集 , 日本地図センター. 創元社, 2018.(210.7/ニホ)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029147964-00 , ISBN 9784422220086
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呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック 増補改訂版. 奥本剛 著 , 奥本, 剛. 潮書房光人社, 2016.(217.6/オク/T)
- キーワード
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- 一般書
- 児童書
- 広島市
- 地図
- 原爆
- 避難経路
- 陸軍拠点
- 平和通り
- 戦争
- 第二次世界大戦
- T
- P
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000291507