レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年10月18日
- 登録日時
- 2020/05/29 17:05
- 更新日時
- 2021/03/17 16:17
- 管理番号
- 埼熊-2020-063
- 質問
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未解決
真宗仏光寺派は、武蔵国荒木(現在の行田市)の源海が率いたとされる満福寺と関係があるそうだが、満福寺は荒木地区のどこにあったのか、文献や遺構について知りたい。
- 回答
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満福寺についての詳しい文献や遺構について書かれた資料は確認できなかった。
- 回答プロセス
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1 参考図書を調査する。
2 《国立国会図書館リサーチ・ナビ》(http://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/ 国立国会図書館)を〈源海〉で検索する。
《国立国会図書館レファレンス協同データベース》(http://crd.ndl.go.jp/reference/ 国立国会図書館)
「荒木門徒(興正寺派第三世安藤隆光源海 荒木村(現在の行田市)出身)に関する資料を探している。」(埼玉県立久喜図書館 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000019611)
3 2の情報の参考資料を確認する。
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
p324「源海」の項に「承久3-建治4.2.23(1221-1278)鎌倉時代中期の浄土真宗僧侶。(中略)荒木に戻り、同所に道場(満福寺廃寺)を建立し、布教と門人の育成に当たった。(中略)満福寺は三河国に移り、如意寺(愛知県石野村)と改められ、開基とされる。(中略)事蹟は不明な点が多い。著『宗祖伝文』など」とあり。
4 行田市史を確認する。
『行田市史 上巻』(行田市史編纂委員会編 行田市 1963)
p453に源海が「荒木村に帰り、万福寺を建ててこれにおったが、同寺は後に三河に移って如来寺と改められた」との記述あり。
5 地誌資料を調べる。
『新編武蔵風土記稿 [第4期]索引編 大日本地誌大系』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996)
p400 第11巻(行田のエリアを含む)の索引に「源海」あり。
p425 第11巻の索引に、行田の「萬福寺」あり。
『新編武蔵風土記稿 [第4期]第11巻 大日本地誌大系 17』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996)
p1羽生領の中の「蓮宝寺」に「源海」の名あり。
p70忍領中里村の中に「萬福寺」あり。「新義真言宗、言長野村長久寺末、本尊五大尊」とあり。
6 行田市の史跡関係の資料を確認する。
〈その他調査済み資料〉
『埼玉県古代寺院跡調査報告書』(古代寺院調査会ほか編 埼玉県県民部県史編さん室 1982)
『埼玉の中世寺院跡』(埼玉県立歴史資料館編 埼玉県教育委員会 1992)
『市内遺跡確認調査報告』(行田市教育委員会)(注)平成8年度調査から平成14年度。
『行田市文化財調査報告書 第24集』(行田市教育委員会 1991)
『行田市文化財調査報告書 第28集』(行田市教育委員会 1993)
『行田市文化財調査報告書 第35集』(行田市教育委員会 2005)
『古代の行田』(栗原文蔵著 行田市郷土文化会 1963)
『私たちの調べたさきたまの歴史』(埼玉地区青少年育成会 〔19--〕)
『行田市金石文集 行田市史編さん資料』(寺島裕編 行田市 1955)
『史蹟埼玉』(高木豊三郎著 埼玉村教育会 1936)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2018年10月18日。
- 事前調査事項
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《ウィキペディア》「真宗仏光寺派」の項目(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E4%BD%9B%E5%85%89%E5%AF%BA%E6%B4%BE ウィキメディア財団)
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 各宗 (188 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 宗教-仏教ー歴史
- 埼玉県-行田市
- 真宗ー寺院-埼玉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000282550