下記①~④に質問の3点の記載や写真があり、1906年生まれ、没年は1988年と考えられることがわかった。
①p7-37「日本女子テニスの夜明け(一九二三~一九二六) 田村富美子・梶川久子 財閥に育てられた女子テニスプレーヤー」で取り上げられており、
p31-34に「インタビュー 一九八七年十月二十二日 田村富美子」が掲載されており、インタビュー末に
「あの日はお元気だったのに、その九か月後に田村さんは亡くなった。」との記載があり、1988年没と考えられる。
また、p32「靴下を脱いで走った」p10「テニスの衣装をデザインした」p10,11「ブロマイドがあった」についての記載と、大正12年5月第6回極東大会の写真2点(本人提供)、大正12年関東選手権の写真(『アサヒスポーツ』朝日新聞社提供)でユニフォーム姿が確認できる。
②p19「表 田村富美子略歴(結婚まで)」に「明治39(1906)年2月 24日誕」の記載あり。
また、p7「靴下を脱いで走った」p13-15「テニスの衣装をデザインした」点についての記載と、『時事新報』(大正12年4月16日付)のユニフォーム姿の写真あり。
①p33に「軟式時代から結婚の報道まで、田村さんは新聞や雑誌の切り抜きをていねいにスクラップしていた。病院から借りてきたその一冊をお返ししなければならないし」との記述がある。
また、②p2に「富美子は,自身を取り上げた『新聞・雑誌記事のスクラップ』(82頁)と自らの経歴を綴った『手記』(20頁)を残しており,これまで福田家で保管されていた。それらの資料の存在はこれまで公にされていなかったが,富美子の孫にあたる福田達郎(財団法人日本テニス協会テニスミュージアム委員会委員)が,2009年に?日本テニス協会に寄贈した。」との記述があり、②ではこの『新聞・雑誌記事のスクラップ』と『手記』を元に経歴が書かれており、「表2『新聞・雑誌記事のスクラップ』記事タイトル一覧」も記されている。
上述の「『新聞・雑誌記事のスクラップ』記事タイトル一覧」に掲載されている以外に下記の資料にも記事・写真の掲載があった。
③『朝日新聞 大正編125 大正11年11月』
p146 大正十一年十一月十三日 夕刊 二面
②p7に記載のあった記事があり。
「多くは黒靴下を穿いたが,中には彫刻の様な両足を冷たい風に曝して平氣で居るものもある。全く大空の下に放たれた自然の歓喜そのものゝ姿ではないか」
p151 大正十一年十一月十三日 三面
記事中に下記の記述と写真あり。
「下図は五十米走の一着田村富美子さんのスタート」
④『朝日新聞 大正編131 大正12年5月』
P89 大正十二年五月七日 月曜付録 一面
「女子庭球の印象 ランラン嬢が近く日本にも生まれる 極東大會豫選日本庭球大會を見て」に記事と写真あり。