レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/03/05
- 登録日時
- 2020/03/23 00:30
- 更新日時
- 2020/03/23 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-190024
- 質問
-
解決
駅家の「田部」が,現在の栃木県のどこにあたるのか知りたい。
- 回答
-
以下の資料に参考になりそうな記載がありましたのでご案内します。
資料1 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 9』 角川書店,1984.12【291.03/ニ11/9R】
p.576「田部駅」の項
「平安期に見える駅名。河内郡のうち。(中略)当駅の位置については,田部を田郡の誤記とみなし,現在の上三川町多功付近に比定する説が多い。(中略)一方,当駅を国府付近に想定する説もある。(中略)上三川町多功付近に比定する説が妥当と思われるが,詳細は不明。」
資料2 栃木県史編さん委員会/編『栃木県史 通史編 2』 栃木県, 1980.3【213.2/ト3/2】
p.193「田部駅家」の項
「田部駅家の位置を上三川町多功に比定する意見は多い。(中略)多功説の難点は三鴨駅家からの里程が非常に長くなることで、駅名の誤記問題と合せて立論の弱点とされる。田部を国府付近に想定する意見もある。(中略)里程の面からは合理的にみえる田部国府説も、順路の上からは疑問が残る。」
資料3 木下/良著『事典日本古代の道と駅』 吉川弘文館, 2009.3【682.1/2009.3】
pp.165-166「6 下野国」の項
「田部駅は享保八年(一七二三)の坂元『延喜式』に「田部」とあるので、これを「たこう」と読んで上三川町多功に比定する説が行われたが、高山寺本『和名抄』も田部としているので、田部が正しいと思われる。(中略)上三河町上神主と宇都宮市茂原にまたがる上神主・茂原遺跡は、河内郡家と考えられているが、東山道駅路に当たる道路遺構も発掘されており、駅間距離から考えると田部駅も同所であったと考える可能性があるが、駅路に面する部分に門址が見当たらないなど、遺跡と道路の接続関係にやや疑問がある。」
p.165には,「下野国の古代交通路」の図が掲載されています。
資料4 武部/健一∥著 木下/良∥監修『完全踏査古代の道』 吉川弘文館, 2004.10【682.1/2004.X】
p.153「発掘でルートが明らかな下野国中部・北部の東山道」の項
「(前略)平成十二年(二〇〇〇)にまた,杉村遺跡とその南西方向約3キロの上神主・茂原遺跡でも同様な東山道遺構が見つかった。駅の位置で疑問もあった次駅の田部駅(上三川町上神主)も,上神主遺跡付近にあった可能性が強くなった。(後略)」
資料5 古代交通研究会∥編集『古代交通研究 第11号』 古代交通研究会, 2002.3【682.1/1997.Y/11】
p.56に「図2 上神主・茂原遺跡の周辺(河内郡)」が掲載されており,上神主・茂原遺跡の位置が確認できます。
「上三川町多功」の位置は,国土地理院の「上三川」地形図2万5000分の1で確認できます。
上記資料の他に,文化庁の「国指定文化財等データベース」https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index(最終検索日:2020/2/6)でも「上神主・茂原官衙遺跡」の位置を確認できます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 9版)
- 参考資料
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- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会?編. 角川日本地名大辞典 9. 角川書店, 1984.12【291.03/ニ11/9R】:p.576
- 栃木県史編さん委員会/編. 栃木県史 通史編 2. 栃木県, 1980.3【213.2/ト3/2】:p.193
- 木下/良?著. 事典日本古代の道と駅. 吉川弘文館, 2009.3【682.1/2009.3】:pp.165-166
- 武部/健一∥著 木下/良∥監修. 完全踏査古代の道. 吉川弘文館, 2004.10【682.1/2004.X】:p.153
- 古代交通研究会∥編集. 古代交通研究 第11号. 古代交通研究会, 2002.3【682.1/1997.Y/11】:p.56
- キーワード
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- 日本--交通--歴史--古代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000276386