レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年08月03日
- 登録日時
- 2020/02/07 15:59
- 更新日時
- 2024/01/15 11:27
- 管理番号
- 横浜市中央2568
- 質問
-
解決
横浜市港南区にある下車ヶ谷(かしゃげと)というバス停の名前の由来を知りたい。また、下車ヶ谷に関する記述がある資料を探したい。
- 回答
-
名前の由来についての記述がある資料は確認できませんでした。
1 下車ヶ谷の記述のある資料については、次のものがありました。
『お母さんが伝えるふるさと下野庭 ききがたり』
しものば郷土誌編集委員会/編 下野庭町内会 1988.2
p.22
「古文書にみる小字名」という表中に、「下車ヶ谷」という名があります。
p.182~183
「下野庭に現存する古文書一覧表」があります。
古文書そのものの掲載はありません。
こちらの古文書に記載があったと思われますが、掲載元、その古文書の所蔵先は
わかりません。
2 下車ヶ谷付近にある野庭の資料のうち、古文書に関しては次のような資料があります
が、「下車ヶ谷」についての記載は確認できませんでした。
『野庭の今昔』常盤台万三/著 〔常盤台万三〕 1977.8
付録:野庭の発展経過年表や野場郷時代の小名字地名表写、
江戸時代の年貢高表・年貢割付状等
上記1で紹介されている古文書とは違う古文書を紹介しています。
3 港南区の地名の由来を調べる資料として、次のような資料がありますが、
「下車ヶ谷」についての記載は確認できませんでした。
港南区は昭和2(1927)年から昭和18(1943)年まで中区に、以降昭和44(1969)年まで
南区に属していました。
(1)『港南の歴史 区制10周年記念』
港南の歴史発刊実行委員会/編 港南の歴史発刊実行委員会 1979.10
p.129~137「村々のあらまし」に村名の由来が書かれています。
(2)『港南区小字名の由来 港南区小字地図別冊』
港南歴史協議会/企画・編集 港南歴史協議会 2015.2
昭和5(1930)年の港南区域の字名が収録されています。
町名については『横浜の町名』が元となっていますが、さらに細分した小字名に
ついての由来が書かれています。
(3)『港南区の歴史』 森篤男/著 横浜市立港南中学校 1971.2
港南区の各町名の由来と歴史について書かれています。
(4)『横浜の町名』
横浜市市民局総務部住居表示課/編 横浜市市民局総務部住居表示課 1996.12
p.99~103 港南区の町名について書かれています。
初版の『横浜の町名』(横浜市役所市民局住居表示課/編 1982.3)と記述が異なる
ものもありますので両方を参照されることをお勧めします。
(5)『横浜市史稿 地理編』 横浜市役所/編纂 臨川書店 1985.12
p.149~288「中區各町」に港南区域の町名が記載されています。
町ごとに『新編武藏風土記稿』の該当部分が引用されています。
(6)『横浜市町名沿革誌』 横浜市役所文書課/編 横浜市役所文書課 1939.3
p.59~122「中區」に港南区域の町名の記載があります。
こちらは横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」で全文公開して
います。
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/detail?cls=collect_01&pkey=00002759
(7)『日本歴史地名大系 第14巻 神奈川県の地名』 平凡社 1984.2
p.130~137 港南区の地名について書かれています。
(8)『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』
「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編纂 角川書店 1984.6
p.976~980 港南区の地名について書かれています。
p.1364には港南区の小字一覧が記載されています。
(9)港南区は相模国と武蔵国の国境に位置しており、
『新編相模国風土記稿』の第4巻・第5巻、『新編武蔵風土記稿』の第4巻に
記載があります。
ア 『新編武蔵風土記稿 〔第4期〕 第4巻 大日本地誌大系』
蘆田伊人/校訂 雄山閣出版 1996.6
イ 『新編相模国風土記稿 第4巻 大日本地誌大系』
間宮士信/〔ほか原編〕 雄山閣出版 1998.4
ウ 『新編相模国風土記稿 第5巻 大日本地誌大系』
間宮士信/〔ほか原編〕 雄山閣出版 1998.4
現在、下車ヶ谷のバス停は港南区日野町2丁目にあります。バス停付近について調べ
る場合は、『新編武蔵風土記稿』の第4巻、『新編相模国風土記稿』の第5巻が該当しま
す。
4 Webサイト
(1)「港南区にあるバス停、“下車ヶ谷”と書いて“かしゃげと”。その由来は?」
(「はまれぽ.com」 https://hamarepo.com/story.php?story_id=1444)
「かつては武相国境の尾根だった場所。昭和に入り、バスの終点となったことから
「車を降りる場所」から付いた名前なのではないかという説が有力」
と書かれていますが、出典の紹介はありません。
バス停を設置している神奈川中央交通の社史等を確認しましたが、
「下車ヶ谷」についての記載は確認できませんでした。
※インターネット情報の最終確認日は2023年12月25日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000273758