レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年02月05日
- 登録日時
- 2020/02/06 17:46
- 更新日時
- 2020/02/09 13:57
- 管理番号
- 県立長野-19-087
- 質問
-
解決
明治42年3月にあった富山県「大黒鉱山」で奇病が発生したため、北安曇郡北城分署から県境を越えて救助隊が出ている。これに関する記事が信濃毎日新聞に出ているか。また、『長野県警察史』に掲載されているか。
- 回答
-
「信濃毎日新聞」に以下の記事があった。また、記事の内容を要約。
明治42年3月10日(水)朝刊5面
「鉱山坑夫の惨状」
北城村駐在巡査1名と人夫15名で救援に赴く。
明治42年3月11日(木)朝刊5面
「救援隊の出発」
昨日天候不順のため、出発が延期になった。11日早暁出発予定。
明治42年3月12日(金)朝刊5面
「金山抗夫の病因」
病因についての推測。
明治42年3月16日(木)朝刊3面(15日午前北城特電)
「金山抗夫の大惨状 救護隊の救護模様」
19名の救護隊が12日午前4時に出発、同日午後4時に鉱山に到着。死者6名確認、生存者9名救助等を13日終日行い、14日鉱山を出発、北城村に帰り着く。
明治42年3月19日(金)朝刊5面
「抗夫救護の後報」
救助された9名のその後の経過、および死者6名についての今後の予定。
明治42年4月9日(土)朝刊5面
「大黒山抗夫の病気は脚気」
病因について、陸軍省軍医の診断発表。
明治42年4月20日(火)朝刊5面
「大黒山の死体発掘」
北城警察分署は今月下旬に隊を組織し、登山する予定。
明治42年5月19日(水)朝刊5面
「大黒山死体発掘」
鉱山抗夫7名の遺体を発掘するため本日登山。
明治42年6月10日(木)朝刊5面(9日午前11時豊科電話)
「大黒山の死体発掘」
雪解けを待ち、発掘隊は7日に出発。同日午後6時に鉱山に到着。死者6名の遺体を収容。8日夜8時北城分署に帰着。遺体は火葬し、親族等に引き渡す予定。
なお、『長野県警察史』『白馬村の歩み』『北安曇誌』などの史誌も見たが、関連内容の記載は確認できなかった。
- 回答プロセス
-
1 当館契約の「信濃毎日新聞記事データベース」で明治期を「鉱山」で検索したところ、4件ヒット。
2 内容を確認したところ、ヒットした記事以外にも報道があったような文章だったため、内容から推測される周辺のものを目視で確認していく。
3 『長野県警察史』を見るが、記載は確認できなかった。
4 『長野県史』『白馬村の歩み』などの史誌を確認するが、記載は見られなかった。
<調査済み資料>
・『長野県警察史 概説編』 警務部警務課 長野県警察本部 1958【N317.7/3/1】
・『長野県警察史 各説編』 警務部警務課 長野県警察本部 1958【N317.7/3/2】
・『北安曇誌 第4巻近代・現代上』 北安曇誌編纂委員会編・刊 1980【N231/13/4】
・『長野県史 近代資料編 第4巻 軍次・警察・司法』 長野県編 長野県史刊行会 1988【N209/11-1/4】
・『白馬の歩み 社会環境編 上』 白馬の歩み編纂委員会編 白馬村 2000 【N231/51/1】
・『白馬の歩み 社会環境編 下』 白馬の歩み編纂委員会編 白馬村 2003 【N231/51/2】
・『大町市史 第4巻近代・現代』 大町市史編纂委員会編 大町市 1985 【N231/36/4-1】
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 8版)
- 行政 (317 8版)
- 日本 (071 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 大黒鉱山
- 北城村
- 救助
- 脚気
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000273687