レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年07月05日
- 登録日時
- 2019/11/11 13:52
- 更新日時
- 2020/03/04 13:16
- 管理番号
- 大分県立郷土-2017-011
- 質問
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中津市小祝は三角州だが、いつからあのような形になったのか知りたい。
- 回答
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以下の資料を紹介。
【1】『角川日本地名大辞典 44 大分県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編纂 角川書店/刊 1980
p357 「こいわい 小祝〈中津市〉」
”(前略)もとは福岡県上毛郡高浜村大字小祝の一部。(中略)当地は山国川と分流中津川にはさまれた三角洲で、江戸中期までは対岸の上毛郡小今井村と連なっていた。慶長5年中津城下建設に際し藩主細川忠興は、山国川分流大家川の分流口を堰き止め金谷堤を築造、大家川筋を外堀とした。これにより中津川の水勢が強まり、明暦元年の大洪水で小犬丸との間が切れ、寛文9年7月18日には完全に分断され、川幅・水深とも増したという。(後略)”
【2】『大分百科事典』 大分放送大分百科事典刊行本部/編 大分放送/刊 1980
p273 「こいわい 小祝」
”(前略)江戸中期までは対岸の上毛郡小今井村(現吉富町小犬丸)に属していたが、山国川の水勢が西側に強まり、1655年(明暦元年)、1669年(寛文9年)の洪水で、完全に分離し三角州状となった。(後略)”
【3】『中津市史』 中津市史刊行会/編集 中津市役所/刊 1965
p32 ”(前略)小祝は地形地質の上からは山国川口に生じた立派な三角洲であるが、歴史的にみると江戸時代初期までは対岸小犬丸とは地続きで、小今井村といわれ上毛郡に属していたが、江戸時代明暦元年(一六五五)の洪水で小犬丸との間を少し洗い切り、さらに寛文九年(一六六九)の洪水で遂に一条の大河となり、小祝は全く三角洲状となったのである。(後略)”
p28に「第4図 平安時代末の中津」という古地図の掲載があり、資料名は「天喜二年中津河原の図」。
【4】『日本歴史地名大系 45 大分県の地名』 平凡社/刊 1995
p109-110 「小祝島 現中津市小祝」
→史料を引用して、地形の形成について詳しく記述されている。
土地の歴史ではなく、地形のことが書いてある資料も紹介。
【5】『山国川 自然・社会・教育』 大分大学教育学部/編・刊 1989
p1-16 「山国川流域の地形」
p15に参考文献の掲載あり。
- 回答プロセス
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1 大分県に関する地名辞典、百科事典を確認。
2 中津市関連資料を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 地球科学.地学 (45 10版)
- 参考資料
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「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 , 角川日本地名大辞典編纂委員会. 角川日本地名大辞典 44. 角川書店, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000101847-00 , ISBN 4040014405 -
大分放送大分百科事典刊行本部 編 , 大分放送. 大分百科事典. 大分放送, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001498878-00 -
中津市史刊行会 編 , 中津市. 中津市史. 中津市史刊行会, 1966.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001387326-00 -
日本歴史地名大系 第45巻 (大分県の地名). 平凡社, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002417671-00 , ISBN 458249045X -
大分大学教育学部 編 , 大分大学. 山国川 : 自然・社会・教育. 大分大学教育学部, 1989.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001985821-00
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「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 , 角川日本地名大辞典編纂委員会. 角川日本地名大辞典 44. 角川書店, 1980.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000265041