レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年09月25日
- 登録日時
- 2019/10/08 15:07
- 更新日時
- 2019/10/26 11:59
- 管理番号
- 和図ー19-0016
- 質問
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解決
安政3年(1856年)に和歌山城の南隣に「岡山文武場」が開設されたが、具体的にどの辺に有り、どのような事柄を、どのような人が教えていたのか。規模や、歴史、運営体制、携わった人々など、詳しく知りたい。参考図書や文献などを教えてほしい。
- 回答
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1.岡山文武場の場所については、次の資料がある。
(1)『和歌山大学五十年史』(和歌山大学50年史編纂委員会/編集 和歌山大学 2000年)p3
「岡山とは和歌山城の南に続く低い丘の呼称である(現吹上1丁目=旧真砂丁の一部)。この岡山に藩政時代の教育施設「文武教場」(国学寮・漢学寮・洋楽寮・秘書寮・武道修練所)が新築されるのは幕末期1856年のことである。」
(2)『南紀徳川史 第17冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990年)p65
「一 校舎所在の地名
和歌山湊 海部郡に属す 昌平河岸北詰 講釈所講堂学習館及ひ聖堂と称せし地
和歌山吹上 海部郡に属す 岡山 文武教場を学習館と総称せし以来の地
明治三年七月城内二の丸に移転す」※引用にあたり、漢字は旧字を新字に変更している。
岡山文武場の歴史や運営について記載された資料に次がある。
(3)『和歌山県史 近世』(和歌山県史編さん委員会/編集 和歌山県 1990年)p856-860
(4)『和歌山史要』(〔和歌山市役所〕/〔編〕 増補5版 和歌山市役所 1965年)p541-543
(5)『南紀徳川史 第17冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990年)p44-80
(6)『和歌山県教育史 第1巻 通史編1』(和歌山県教育史編纂委員会/編集 和歌山県教育委員会 2007年)p13-15
(7)『史談藩学と士風 二十六大藩』(斎藤 悳太郎/著 東洋書院 1976年)p428-430
(8)『紀州の藩学と庶民教育』(和歌山市立博物館/編 和歌山市教育委員会 1990年)p8-13
※文武教場に移転する前の学習館が中心だが、学習館規則や当時の学者について記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000262440