レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年07月19日
- 登録日時
- 2019/07/19 15:01
- 更新日時
- 2019/07/25 15:04
- 管理番号
- いわき総合-地域596
- 質問
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解決
いわき民報 昭和27年5月4日3面に「坂本翁郷土入り 平駅頭盛んな歓迎 昭和の浦島」と題した記事を読んだ。歓迎を受けたのは、坂本儀助氏で、内郷小島町で羽二重織を営んでいた坂本勝次郎の長男である。勝次郎氏の三男は坂本義孝氏で磐中一回卒、その息子の義和氏は、東大の国際政治学者となったと聞いているが、確認したい。
また、小島保育園(いわき市内郷小島町)に坂本儀助氏の銅像が建っているというが、その経緯を知りたい。
- 回答
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坂本儀介氏、坂本義孝氏については、【資料2】「福島県人物風土記」p297に掲載。「坂本儀助は、明治43年に製紙工場を閉鎖して渡米、苦心の末、農業経営に成功した農業移民の先駆者。坂本義孝は、県立磐城中学校の第1回卒業生で、上海の東亜同文書院を卒業し、キリスト教の影響をうけ、熱心な平和主義者であり、反戦運動家」とあり。
次に、坂本義孝氏が磐城中学校の第1回卒業生であることから、【資料3】「磐中物語1」p69に「次男は東京大学助教授で、国際法の権威者であった。」との記述。
坂本儀助氏の銅像については、【資料4】小島保育園のHPに、保育園の沿革の記事(胸像建設の経緯も掲載)があり、「昭和33年10月1日 園庭に坂本儀助氏の胸像が完成する」を確認。
【資料5】いわき民報 昭和33年10月10日3面に、「故坂本儀助翁の胸像 11日 小島保育園で除幕式」の記事(胸像建設の経緯等を説明)があり。
【資料6】福島民報 昭和33年10月13日5面に、「内郷小島保育園 故坂本翁の胸像除幕式」の記事。
- 回答プロセス
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上記回答のとおり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】「いわき民報」昭和27年5月4日3面 〔いわき市立図書館ホームページ>郷土資料のページ>新聞〕
- 【資料2】「福島県人物風土記」暁教育図書 1982(K/281/フ・1110094123)
- 【資料3】「磐中物語 1」荒川 禎三/著 磐中物語刊行会 1977(K/372/ア・1110062575)
- 【資料4】社会福祉法人いわき福音協会 小島保育園 HP 園の概要
- 【資料5】「いわき民報」昭和33年10月10日3面 〔いわき市立図書館ホームページ>郷土資料のページ>新聞〕
- 【資料6】「福島民報」昭和33年10月13日5面
- キーワード
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- 磐中
- 小島保育園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 事実調査
- 内容種別
- 人物 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000258850