1.「鳥取藩(のち和歌山藩)」と記載のあった資料
(1)『七年史 下巻』北原雅長/輯述 マツノ書店 2006
1904(明治37)年に刊行された書籍の復刻版です。
p935 容保が因州藩(=鳥取藩)に預けられたとの記載があります。
(2)『京都守護職始末』山川浩/編述 マツノ書店 2004
1911(明治44)年に刊行された書籍の復刻版です。
p6 因幡藩(=鳥取藩)へ永預けとなったとの記載があります。
(3)『会津若松市史 8 会津近代の始まり』会津若松市史研究会/編 会津若松市 2006
p4 鳥取藩池田家へ永預けとなったと記載があります。
(4)『松平容保公伝』相田泰三/著 会津郷土資料研究所 1992
p239 容保が池田慶徳(因幡国鳥取藩12代藩主)へ永預けになったとの記載があります。また、その後の動きに関してもp264で確認できます(和歌山藩⇒斗南の順に預替)。
(5)『幕末会津藩主松平容保』帯金充利/著 叢文社 2006
p213 預先の変遷が記載されています(池田慶徳⇒和歌山藩⇒斗南⇒東京)
(6)『松平容保の生涯 写真集』小檜山 六郎/著 新人物往来社 2003
p138 因幡鳥取藩・池田慶徳邸に永久お預けとなったとの記載があります。
2.「備前池田家」と記載のあった資料
(7)『斗南藩史』葛西富夫/著 斗南会津会 1971
p100 該当する記載があります。
(8)『会津・斗南藩史』葛西富夫/著 東洋書院 1992
p40 該当する記載があります。
いずれも『藩史大事典 第1巻』と同じ著者によるものです。
どちらが正しいか当館として断言はできませんが、「鳥取藩(のち和歌山藩)」説が多数を占めていることは事実のようです。
3.戊辰戦争後の容保の動静について
資料(4)(5)(6)のような伝記類でご覧いただくのがよろしいかと存じます。