レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年12月22日
- 登録日時
- 2019/03/08 12:54
- 更新日時
- 2019/03/28 11:20
- 管理番号
- 新県図-01392
- 質問
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解決
古代から江戸時代までの冬季(11月~3月)に新潟県から県内外に出兵した記録について
- 回答
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当館所蔵資料を調査したところ、下記(1)~(4)の資料の巻末年表に、新潟県から県内外に出兵した記録に関する記述が散見されました。
(1)『上杉謙信』新装版(花ヶ前盛明/著 新人物往来社 2007)
p377~385「上杉謙信年譜」内に、p381「(1563年)12・ 雪を踏んで関東に入り、和田城(群馬県高崎市)を攻め、厩橋城で年を越す。」などの記述がありました。
(2)『新潟県の合戦』上越編(いき出版/編 いき出版 2012)
p250~253「上越の合戦略年表」(弥生時代~明治時代初期までの合戦が集録されています)内に、p252「(1579年)二月、景虎方の北条景広が御館近くの府中八幡宮(上越市西本町三)で戦死。景勝方が御館の外構えを焼き払う」などの記述がありました。
また、p96~97「関東の合戦」内で、上杉謙信による雪の国境を越えての関東遠征が越後の雑兵にとって冬季の出稼ぎであった旨の見解が示されています。その見解の出典である『雑兵たちの戦場』(藤木久志/著 朝日新聞社 1995)も当館で所蔵しています。
(3)『新潟県の合戦』長岡・柏崎編(いき出版/編 いき出版 2011)
p248~252「長岡・柏崎の合戦年表」(平安時代~幕末までの合戦が集録されています)内に、p248「(1353年)十一月、阿賀北から攻めてきた北朝方の中条氏は、古志郡乙面の合戦で南朝方の宗良親王・新田一族を破り、蔵王堂に本陣を置いた」などの記述がありました。
(4)『新潟県の合戦』小千谷・十日町・魚沼編(いき出版/編 いき出版 2009)
p248~253「小千谷・十日町・魚沼の合戦年表」(平安時代~明治時代初期までの合戦が集録されています)内に、p249「(1514年)正月、江口・福王寺・穴沢氏は上田長尾氏に属し、六日市(旧六日町)の戦いで上杉方の大軍と戦う。広瀬郷の椿氏などが戦死する」と記述がありました。
またp96~97「謙信の越山と塩沢大館」に、「永禄八年七月、武田と北条軍が上野(群馬県)へ進入してきたため、同年十一月二十一日、越山のため雪中の浅貝(湯沢町)まで出陣した。さらに永禄十二年十一月十四日にも、大雪のなか春日山から塩沢に着陣している。」と記述がありました(こちらの記録は年表内にありません)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 合戦
- 出兵
- 冬
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000252802