レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年2月6日
- 登録日時
- 2019/02/08 15:02
- 更新日時
- 2019/02/27 20:55
- 管理番号
- 中央-郷-2019-0005
- 質問
-
解決
原爆ドームの名前の由来が知りたい。
- 回答
-
「原爆ドーム」という名前は、建物の形状(屋根の骨組みが、丸く傘状に残っている)から、いつ頃から誰ということもなく言い出され始めたようです。なお、新聞や出版物へは、1950年頃から表記が見受けられるようです。
- 回答プロセス
-
1.自館所蔵資料を「原爆ドーム」のキーワードで検索したところ、以下の資料が見つかりました。
①『原爆ドーム 物産陳列館から広島平和記念碑へ』頴原 澄子/著 吉川弘文館 2016年
p.108~111「原爆ドーム」に「原爆ドームという呼称については、1950年6月23日付『中国新聞』社説で、旧産業奨励館のことを「原爆ドーム」と記しており、これが、活字として「原爆ドーム」が使われたもっとも早い例だといわれている。また、1958年に広島観光出版社が発行した『広島市全図』では「原バクドーム」と書かれているので、この頃に、まさに「誰ということもなく」少しずつ「原爆ドーム」という呼称が使われはじめ、やがて一般化していったものと思われる」との記述がありました。
②『ユネスコ世界遺産原爆ドーム 21世紀への証人』中国新聞社/編 中国新聞社 1997年
p.36「被爆五年後に「原爆ドーム」の呼称」に「中国新聞紙上で「ドーム」という言葉が出てくるのは、1948(昭和23)年8月24日付の記事。米国のニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙が8月6日付で広島の復興ぶりを写真とともに紹介した、という記事の中に「元産業奨励館のドーム」という表記がみられる。「原爆ドーム」という言葉が初めて登場するのは、1950(昭和25)年6月23日付の社説「観光への忠言」。アメリカの経済人が広島を視察して行った提言を紹介し、観光対象物として、瀬戸内海と厳島とともに「原爆ドーム」という表現で挙げている。(中略)また、翌51(昭和26)年8月6日には「原爆ドーム思い出帳」という記述もある。このころから「原爆ドーム」の呼び名が一般化されたといえそうだ」との記述がありました。
③『物産陳列館から原爆ドームへ-75年の歴史』広島市公文書館/〔編〕 広島市公文書館 1990年
p.6に「「原爆ドーム」(Atomic-Bomb Dome)という呼び名は、建物の頂上円蓋の残骸が傘状になっている姿から「いつ頃からともなく、市民の間から誰いうともなく自然に言い出された」といわれている。昭和20年代の前半にはまだその言い方は一般化しておらず、昭和26年(1951)8月6日の『中国新聞』の大見出しに「原爆ドーム思い出帳」として掲載しているのが早い時期に属する」との記述がありました。
④『広島の復興経験を生かすために 廃墟からの再生』国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会/編,広島県/〔編〕,広島市/〔編〕 国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会 2014年
p.11に「なお、「原爆ドーム」という表現が使われ始めるのは、昭和25年頃からだと見られる。新聞紙上では、同年6月23日付の『中国新聞』の社説「観光への注言」で初めて使われ、文学作品でも、同年9月発行の俳句誌『夜』に藤井美典(よしのり)「鉄鈷雲(かなとこぐも)原爆ドームに蟻狂ふ」が掲載された。昭和26年の夏には、「原爆ドーム」の呼称が新聞・雑誌で散見されるようになり、平和条約が発効し、日本の主権が回復された翌27年には、「原爆ドーム」の表現はより一般化した模様である」。(参考文献:西本雅実「ヒロシマの記録」(『中国新聞』2007年6月5日付)との記述がありました。
⑤『ドームは呼びかける 原爆ドーム保存記念誌』広島市/編 広島市 1968年
p.26「この建物に対する「原爆ドーム」の呼び名は、いつ、だれによって名づけられたかは明らかでない。市民の間からいつだれが言い出すともなく、自然発生的に言い出されたものと見るほかはないが、由来は、円蓋の骨組みを傘状の残骨のままとどめていることにもとずいている」との記述がありました。
⑥『原爆ドーム100年の記憶』広島平和記念資料館/編 広島平和文化センター平和記念資料館 2015年
ページ表示なし「放置から保存へ」に、「昭和28(1953)年11月、広島県は原爆ドームを広島市に譲与すると通知しました。その扱いが定まらぬまま、「原爆ドーム」の呼称が定着していき(後略)」との記述がありました。
2.書棚を確認したところ、以下の資料が見つかりました。
⑦『広島県大百科事典 上巻』中国新聞社広島県大百科事典刊行委員会事務局/編 中国新聞社 1982年
p.467「原爆ドーム」に「原爆がこの建築物のほぼ上空で爆発したことと、丸い屋根の骨組みが露出して残ったことから“原爆ドーム”という呼び名が、だれが名付けたとも知れないまま一般的になり」との記述がありました。
⑧『ヒロシマの被爆建造物は語る 被爆50周年』被爆建造物調査研究会/編 広島平和記念資料館 1996年
p.28「1953年には、県から広島市に管理が移管されたが、この廃墟は、いつの頃か原爆ドームと呼ばれるようになった」との記述がありました。
以下の資料では確認できませんでした。
『廣島から広島 ド-ムが見つめ続けた街展』「廣島から広島ド-ムが見つめ続けた街」展実行委員会/編,広島県立美術館/編 「廣島から広島ド-ムが見つめ続けた街」展実行委員会 2010年
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本の建築 (521 9版)
- 外交.国際問題 (319 9版)
- 参考資料
-
-
頴原澄子 著 , 頴原, 澄子, 1972-. 原爆ドーム : 物産陳列館から広島平和記念碑へ. 吉川弘文館, 2016. (歴史文化ライブラリー ; 431)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027474537-00 , ISBN 9784642058315 -
中国新聞社/編 , 中国新聞社. 原爆ドーム : ユネスコ世界遺産21世紀への証人. 中国新聞社, 1997.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I066812496-00 , ISBN 4885172500 -
広島市/編 , 広島市. 物産陳列館から原爆ドームへ 75年の歴史 : 被爆45周年記念展. 広島市, 1990.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021615535-00 -
国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会 編 , 国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会. 広島の復興経験を生かすために : 廃墟からの再生 : ひろしま復興・平和構築研究事業報告書. 国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会, 2014.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025475071-00 -
広島市. ドームは呼びかける : 原爆ドーム保存記念誌. 広島市, 1968.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001176736-00 -
中国新聞社/編 , 中国新聞社. 広島県大百科事典 : あ‐せ 上. 1982.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I024430559-00 -
被爆建造物調査研究会 編 , 被爆建造物調査研究会. ヒロシマの被爆建造物は語る : 未来への記録 被爆50周年. 広島平和記念資料館, 1996.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002503308-00
-
頴原澄子 著 , 頴原, 澄子, 1972-. 原爆ドーム : 物産陳列館から広島平和記念碑へ. 吉川弘文館, 2016. (歴史文化ライブラリー ; 431)
- キーワード
-
- 原爆ドーム
- 産業奨励館
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000251515