レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年11月29日
- 登録日時
- 2018/11/30 11:30
- 更新日時
- 2019/06/23 09:17
- 管理番号
- 0-1-20181110-1
- 質問
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解決
①浮野の合戦の場所を知りたい。『史録いちのみや』で合戦跡とされているのは、間違っていると認識している。
②「浮野川」という川が、上記の合戦ででてくるが、現在のどこか。
③「能代」の場所。同じく合戦に記述がある。
④千間堀川についての本を読みたい。
- 回答
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『中世城館跡調査報告1』 愛知県教育委員会/編集 1991 A522/49/A
①図4 19:浮野城(001-22)
『愛知県の地名』 平凡社 1981 A200/33
③p396 「熊代村」現一宮市千秋町加茂 「能代」という地名なし
『尾張国地名考』 津田 正生/著 ブックショップ「マイタウン」 1987 A240/ツ
③地名「能代」は無し「熊代村」あり。『史録いちのみや』の「能代」は「熊代」の誤字か。
『千秋村史』 千秋村史編纂委員会/編輯 1956 A373/6
①p230 城跡山西園寺の境内 かつて北端に土手があり、それがとりでであったと伝わる。
②p64 新般若用水(住昔からの浮野川を大改修したもの)と記載あり。
③p21 「熊代村」あり。花地村と合併して加茂村となった。(明治11年)
p231 浮野合戦の跡の項。浮野地区と熊代、花池、勝栗地区の間に亘る、いわゆる五坊野原…(略)。
④については、当館提供の管理番号「0-1-20140803-1」を参照。
『一宮市史 西成編』 一宮市教育委員会/著 一宮市教育委員会 1953年 A273/14/4
p.358-、千間堀川悪水踏の項目。
『西大海道土地改良史』 西大海道土地改良組合/編 西大海道土地改良組合 1972年 A614/16/A
p.131-p.167、第三章千間堀川用悪水の項目で詳細な記述あり。
『西大海道誌』 谷謙三/著 1994年 A273/129
p.206、千間堀川完工之碑の碑文の記載あり。
『温故 千間堀さくら迄』 鈴木喜寛/著 鈴木喜寛 1976年 A273/46/A
p.19-、地元民から見た川の様子、杉浦五左衛門が開削したこと、用水の導入など詳細あり。(一宮市史、土地改良史)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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事前調査事項
『史録いちのみや』 松本 勝二/著 郷土出版社 1986 A273/96/D
p84
図4
『尾張の古城』笹山 忠/著 2008 A521/サ
p242
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000246696