レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年04月01日
- 登録日時
- 2018/08/18 13:46
- 更新日時
- 2018/08/18 13:46
- 管理番号
- 市川20180401-02
- 質問
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解決
市川市立大町小学校の変遷について知りたい。
- 回答
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大柏村の発足以前から、大町新田(現在の大町)に大町小学校の名称で小学校があったことが以下の資料より分かる。
①「大柏村の成立・展開と学校問題」(神山知徳/著 2003 『市立市川歴史博物館報 平成13年度』p.18-29)
②『大町をひらいた人々』(大町共有地管理委員会「大町をひらいた人びと」制作部会 2003)
その他、『おおがしわ創立130年記念誌』(市川市立大柏小学校/編 2003)p.3-6の年譜にも記載あり。
①のp.19には明治時代の「図2 大柏村 (大野村外4か村連合含む)内の学校変遷図」があり、最初の場所・設置年の記述はないが、「(前略) 大町新田に、どこかの小学校の附属学校という形で小学校が設置されていた。
大町小学校は明治18年度まではその存続を史料上確認できるが、町村制施行当初には明らかに廃止されている。」とある。
明治25年に大町尋常小学校として設置、明治29年に字竹内(現在日枝神社のある辺り)に新築移転し(②-p.40)、第2次小学校令後、明治33年大柏村にあった3校の小学校は1校(大柏尋常小学校)のみと定められたが、新校舎ができるまでは柏井・大野・大町の旧校舎を仮教場として存続することになる(①-p.24)。
新校舎建築の目途が立った明治36年に大町校は仮教場から分教場とする認可が出る(①-p.25)。
昭和24年に大柏村が市川市に合併された後、大柏小学校柏井分校は昭和27年に廃止、大町分校は昭和39年に廃止になる(②-p.41)。
この頃の住宅地図(S36年)を見ると、日枝神社の隣に大柏小学校大町分校の記載が確認できた。
現在ある大町小学校については、『校歌は生きている』(市川市教育委員会 1987)p.197より、大柏地域に住宅が建つようになり、大町に市営住宅が建設されてからは大柏小学校の子どもの数が増えたため急ぎ昭和48年4月に開校したこと、開校時に校舎の建築が終わらなかったため、初年度の1年間大柏小学校に同居したことが分かる。
『教育調査 昭和48年度』(市川市教育委員会 1974)p.27-28の学校一覧を見ると、大町小学校は大柏小学校の住所と同じだが校長は異なっている。
昭和49年度から現在の大町84-10に移転している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000240879