旧藤岡町(現栃木市)における綿産業について、次の資料に関連の記述を確認しました。
・『藤岡町史 別巻 民俗』(藤岡町史編さん委員会/編 藤岡町 2001)
p.143-145「7.お針と機織り洗濯」の項に「この自家用の機織りは、ハタシと呼ばれるタカハタ(高織)の織機を使った織物で、ほとんどが木綿織りであった…自己の所有する畑の中に二畝(二アール)ほどの綿を栽培して織物に利用していた…主に子供の服や布団皮を織ったという」との記述があります。
・『藤岡町史』(藤岡町史編さん委員会/編 藤岡町 1975)
p.170「第四章大正以後の世界 第二節特殊産業」にある「機織(はたおり)」の項に、「明治三十年(一八九七)頃まで各家とも綿を栽培し多くて一反歩、少なくて二畝位、これをつむいで佐野方面の紺屋に頼み染めて機にかけた。当時これを「地機」といった」との記述があります。
(参考)栃木県内における綿産業について
・『全国の伝承江戸時代人づくり風土記 聞き書きによる知恵シリーズ 9』(加藤秀俊/〔ほか〕編纂 農山漁村文化協会 1989)
p.20「綿の真岡、絹の足利にみる近代工業の芽生え」の項に、「十八世紀に入ると関東各地で商品作物の栽培と、これを原料とした加工業が発展し、…栃木県域においても…芳賀・河内・寒川郡を中心とした綿…などが発展し…佐野の絹綿交織、真岡の晒木綿…が地場産業として発展します」との記述があります。
また、p.362-366「江戸時代栃木の物産一覧表」には次の記述があります。
この一覧は、物産ごとに県内の産地を示すもので、『日光山志』『那須拾遺記』『下野国誌』などを参考に作成したとあります。
・綿:「芳賀郡 真岡・東郷村・中郷村・西郷村」(現真岡市)
・木綿(晒木綿):「芳賀郡 真岡」(現真岡市)、「芳賀郡 茂木」(現茂木町)、「河内郡 薬師寺村」(旧南河内町、現下野市)、「河内郡 谷田貝村」(旧二宮町・現真岡市)
・木綿(白木綿):「都賀郡 小山宿・卒島村」(現小山市)
・木綿(トチギシロ):「都賀郡 下高島村」(旧大平町・現栃木市)
・木綿(那須木綿):「那須郡 大田原宿」(現大田原市)
・足利織物(綿太織):「足利郡 利保村」(現足利市)
・佐野織物(白木綿織):「安蘇郡 馬門村」(現佐野市)
注:織物は、一覧の名称から綿織物であることがはっきりと分かるもののみをお伝えします。