レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年3月15日
- 登録日時
- 2018/02/27 15:03
- 更新日時
- 2018/03/28 10:58
- 管理番号
- 県立長野-17-146
- 質問
-
解決
塩尻出身の衆議院議員、川上源一および江橋厚の生年月日・出生地・主な肩書・出典を教えてほしい。鉄道関係の記載はあるか。
- 回答
-
出典(回答に使用した資料)は末尾に記載。
川上源一(かわかみ げんいち)
生年月日
安政5年1月生まれ (日不明)(出典:4の資料)
※1・2・3の資料には安政5年(1858)生まれとあり。
生年の日については以下の資料を調査したが掲載は確認できなかった。
『長野県の選挙 明治-平成』 信濃毎日新聞出版部/編 信濃毎日新聞社 1991 【N318/274ア】
『長野県 選挙100年 解説・資料・年表』 信濃毎日新聞出版部/編 信濃毎日新聞社 1967 【N318/29/ア】
『長野県会沿革史』第1編 長野県議会事務局/編 長野県議会事務局 1895 【N314/19/1】
『人事興信録』 人事興信所 1928 【281.03/9/1】
出生地
東筑摩郡錦部村刈谷原中沢弥惣衛の二男として生まれ、明治26年塩尻町川上家の養子となる。(出典:資料1)
筑摩郡刈谷原村(現四賀村)に生まれ、同郡塩尻町村(現塩尻市)川上婦じの婿養子となる。(出典:資料2)
筑摩郡刈谷原町村(四賀村)に生まれ、旧塩尻宿脇本陣川上家の婿養子となる。(出典:資料3)
※四賀村は現在松本市。
1・2・3の資料により、それぞれ出生地の記載が異なっており、以下の資料を調査した。
『長野県史』 近世史料編 第5巻(3)中信地方 長野県/編 長野県史刊行会 1974 【N209/11/5-3】
「筑摩郡郷村変遷」後付けp56「天保5年12月(1834)『信濃 国郷帳』」によると、「刈谷原村」
『長野県町村合併誌』下巻 長野県総務部地方課/編 長野県 1965 【N317/29/3】
p173によると明治4年(1871)廃藩置県時点では刈谷原町村
『長野県町村誌』3南信篇 長野県/編 名著出版 1973 【N290/33A/3】
長野県町村誌刊行会 1936年発行 の復刻版
項目別頁付け「東筑摩郡」p151「刈谷原村(錦部村)」の項には刈谷町村を含め十ケ村が明治8年に合併してできたとあり。
『長野県町村字地名大鑑』p95の変遷表によると明治8年以前は刈谷原町村だが、それ以前は刈谷原村となっている期間があり、年代の記載はなし。
以上から天保5年(1834)時点では「刈谷原村」で、明治4年(1871)以前は「刈谷原町村」であったようだが、天保5年から明治8年のいつの時点から「刈谷原町村」であったのかは確認できなかった。(1858(安政5)年時の名称について確認できなかった)
主な肩書
戸長、県会議員、鉄道期成同盟評議員、衆議院議員、普通選挙期成同盟会評議員を歴任。
その後、塩尻駅で駅弁、蕎麦の販売(川上屋)に専念
(出典:資料1,2,3(2は蕎麦について記載なし駅弁のみ))
郡書記、長野県会議員となる、旅館業を営む、当選一回(出典:資料4)
江橋厚(えばし あつし)
生年月日
安政元年2月生まれ (日不明)(出典:資料4)
※資料1・2・3には安政1年(1854)生まれとあり。
出生地
常陸国茨城郡水戸下市生まれ(出典:6の資料)
「元常陸国茨城郡水戸の人」とあり(出典:5の資料)
明治11年ごろ水戸より一家を率いて松本に来住し、明治40年頃まで居住(出典:資料1)
水戸から松本に来住(出典:資料2)
明治11年ごろ水戸(茨城県)から松本に移った(出典:資料3)
主な肩書
弁護士、衆議院議員(第1回・第4回)、中山道鉄期成同盟会が組織されたとき中心となって運動した(出典:資料1)
自由民権運動家(松本奨匡社員(まつもとしょうきょうしゃいん))、衆議院議員(第1回・第4回)、弁護士(出典:資料2)
自由民権運動家、弁護士、松本奨匡社社長、第1回衆議院議員、中山道鉄道期成同盟会の運動に尽力(出典:資料3)
代言人、信陽日報を発刊、当選2回(1 4)(出典:資料4)
代言人、奨匡社社長、松本日々新聞(のちの信陽日報)を発刊、衆議院議員(出典:資料5)
代言人、奨匡社社長、松本日々新聞(のちの信陽日報)を発刊(出典:資料6)
※資料5・6の資料には水戸での出来事も記載がある。
出典(回答で使用した資料)
1『東筑摩郡 松本市・塩尻市誌 別篇 人名』 東筑摩郡 松本市・塩尻市郷土編纂会 1981 【N233/10/別2】
2『長野県歴史人物大事典』 神津 良子 郷土出版社 1989【N283/13/】
3『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店 1996【N288/158/】
4『議会制度七十年史』[8];衆議院議員名鑑 衆議院/編集 大蔵省印刷局(印刷) 1962【314/77/8】(『日本人物情報大系』30 憲政編10 芳賀登/〔ほか〕編 皓星社 2000 【281.08/ハノ/30】にも収載)
5『日本帝国国会議員世伝』 木戸照陽/編 田中宗栄堂 1890 (『日本人物情報大系』23 憲政編3 芳賀登/〔ほか〕編 皓星社 2000 【281.08/ハノ/23】に収載)
6『帝国衆議院議員実伝』 関谷男也/編 1890 (『日本人物情報大系』23 憲政編3 芳賀登/〔ほか〕編 皓星社 2000 【281.08/ハノ/23】に収載)
※出典資料1・2・3について
1『東筑摩郡 松本市・塩尻市誌 別篇 人名』 東筑摩郡 松本市・塩尻市郷土編纂会 1981 【N233/10/別2】
p141-142「川上源一 かわかみげんいち」
参考文献は人名項目の末尾と巻末に紹介されてる。
それによると人名の末尾には「(「人名調査表」「松本平の近代人物誌」(有賀義人)による)」と掲載があります。(巻末には「「信濃人名辞書調査 表」 東筑摩郡・松本市 未刊」「「松本平の近代人物誌」 中日ホームサービス」とあり)どちらも当館には所蔵がなく、国立国会図書館サーチ http://iss.ndl.go.jp/ (最終確認3月6日)でも確認できなかった。
p65「江橋 厚 えばしあつし」
参考文献は人名の末尾と巻末に紹介されている。
人名の末尾には「(「松本市史」「人名調査表」による)」とあり、巻末には「松本市史上下(昭和八年版)」 「「信濃人名辞書調査表」(東筑摩 郡・松本市) 未刊」となっている。
当館所蔵の『松本市史』上下巻を確認したが、下記に掲載が確認できた。(関連項目だと思われるところのみ確認)
『松本市史 下巻』 松本市/編 松本市 1933 【N233/17/2イ】
p193-194「衆議院」の項
p220-224「中央鉄道 其の一」
p689-691「奨匡社設立」
2『長野県歴史人物大事典』 神津 良子 郷土出版社 1989【N283/13/】
p115「江橋厚 えばし・あつし」
p210「川上源一 かわかみ・げんいち」
「江橋厚」の末尾に参考文献として『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌』第3巻・現代上 とあり。
当館所蔵の『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌』第3巻・現代上 東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会 1962 【N233/10/3-1】を確認したところ、下記に掲載が確認でた。(関連項目だと思われるところのみ確認)
p300-305「第一節 自由民権運動」
「川上源一」には参考文献の記載なし。
3『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店 1996【N288/158/】
p468「江橋 厚 えばし あつし」
p492「川上源一 かわかみ げんいち」
参考文献の記載なし。
- 回答プロセス
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川上源一
1 長野県の人名事典および中信地域の人名事典を調査したが生年月日の月日の掲載なし。事典に記載がある参考資料を調査するが、月日の掲載なし。
2 近年の『長野県議会沿革史』には県会議員の生年月日の掲載があるので当時の『長野県会沿革史』および選挙関係の資料を調査するが生年月日は確認できなかった。
3 出生地について出典とした3冊の資料の掲載が一致しないので改めて当時の町村名を『長野県史』などで調査するが、確定できず。
江橋厚
1 水戸から移住してきたようだが出生地は1・2・3の資料では確認できなかった。
以上まで調査したところ、同課の職員から4・5・6の資料を教えてもらい内容を確認。両名の生年の月、および江橋氏の出生地の記載を確認することができた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 鉄道運輸 (686 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 政治家
- 鉄道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000231509