次の資料に関連の記述を確認しました。
1 図書
・『鹿沼市史 通史編 近現代』(鹿沼市史編さん委員会/編 鹿沼市 2006)
「第6部 第1章 鹿沼市の総合計画と財政動向」p.671-673「昭和三〇年代の財政」の項に、昭和36年12月に落成式を迎えた総合処理場について記述があります。
・『鹿沼市史 資料編 近現代 2』(鹿沼市史編さん委員会/編 鹿沼市 2003)
「第四編 第二章 第六節 社会資本の整備」にp.761-762「2 昭和37年1月1日 待望の総合処理場完成」の項があります。総合処理場落成式の様子、処理能力について記述があります。
・『オール栃木 第9巻』(オール栃木社/編集、発行 1965)
「オール栃木 1965年11月号」所収
p.2-7「し尿処理を考えよう 栃木県の糞尿譚」の項があります。
また、鹿沼市勢要覧の「衛生」の項には「し尿処理状況」の項目があり、年次別に区域内世帯数、年間汲取量(Kℓ)の統計が出されています。当館の1960年代の鹿沼市勢要覧の所蔵状況は、以下の通りです。
・『鹿沼 鹿沼市勢要覧 1958~1960』(鹿沼市役所/編 鹿沼市役所
1958)
・『鹿沼 鹿沼市勢要覧 1964』(鹿沼市役所/編 鹿沼市役所 1964)
・『鹿沼市勢要覧 1966年』(鹿沼市/編 鹿沼市 1966)
・『鹿沼 鹿沼市勢要覧 市制施行20周年記念 1968』(鹿沼市役所/編 鹿沼市役所 1968)
なお、1950年代の市勢要覧に、当時のし尿処理に関する記述を確認しました。
・『鹿沼 鹿沼市勢要覧 1956』(鹿沼市役所/編 鹿沼市役所 1956)
p.81「衛生」の項に、し尿処理について「昭和29年清掃法が施行されると同時に、市営を以てし尿処理事業を開始した。…現在作業設備は、24石タンク車1台、6石三輪車1台、手引車12台をもって汲取り、運搬を行っており、30個のし尿貯溜槽に投入しているのであるが…」との記述があります。
・『鹿沼 鹿沼市勢要覧 1957』(鹿沼市役所/編 鹿沼市役所 1955)
p.69「衛生」の項に、し尿処理について「作業設備としては大型バキュームカー1台、三輪バキュームカー1台と手引車11台をもって汲取り、運搬を行っており、37ヶ所のし尿貯溜槽に投入し…」との記述があります。
2 新聞記事
調査の過程で、処理施設の完成は昭和36年12月20日との情報を得ましたので、下野新聞の記事を調査しました。前後の日付を確認したところ、次の記事がありました。
昭和36年12月21日(木)3面「し尿処理工場が完成 鹿沼 日本最初の総合施設」
※施設ができた経過について、「事業開始当時は、ゴミの全量を焼却処分し、し尿はもっぱら農村還元によって終末処理をしてきたが近年いちじるしく処理量が増加するとともに、化学肥料の出まわりによって、し尿の施肥利用が激減 焼却場も全量処理が不可能となり この解決策として総合処理場建設となったもの。」と記されています。
3 その他
次の資料からは記述を確認できませんでした。
・『栃木県衛生年報 第11回~第14回(昭和34~37年度)』(栃木県衛生民生部医務課衛生統計係/編 栃木県衛生民生部 1961)
・『栃木県公害行政の概要 昭和41・42年度』(栃木県商工労働部/編 栃木県商工労働部 1967)
・『私たちの生活と公害』(栃木県商工労働部公害課/編 栃木県商工労働部公害課
1970)
・『鹿沼市水道誌』(鹿沼市役所/編 鹿沼市役所 1955)
・『環境衛生事業概況』(栃木県/編 栃木県 1962)
・『栃木県の下水道 昭和47年度』(栃木県土木部/編 栃木県土木部 1972)
・『水と環境 1ー12号』(栃木県下水道公社/編 栃木県下水道公社 1985)