レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/05/16
- 登録日時
- 2017/06/10 00:30
- 更新日時
- 2017/06/10 00:30
- 管理番号
- 6001024142
- 質問
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解決
健康保険制度における医師への保険診療報酬に関して、政府管掌保険と組合管掌保険が、団体請負方式から勤労定額方式に変更になったのはいつか。その経緯も知りたい。
- 回答
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1939年4月6日公布(1940年6月1日施行)の「職員健康保険法」により、政府管掌保険と組合管掌保険それぞれの一部が団体請負方式から勤労定額方式に変更となり、また1942年2月21日公布(1943年4月1日施行)の「健康保険法」の改正により、その全部が勤労定額方式になったことが複数の資料に記述されています。
詳細は下記のとおりです。
職員健康保険法については、
『日本医療保険制度史』(吉原健二著 東洋経済新報社 1999.12)(以下『制度史』という)に詳細な記述があります。その一部を抜粋します。
「職員健康保険法は昭和14年(1939年)4月に成立し、翌15年6月から全面的に実施された。初年度の適用事業所数は約2万8千、組合数は約百、被保険者数は政府管掌約46万人、組合管掌約21万人、計約67万人、家族は230万人であった。」(p96)
「職員健康保険法は、都市(市または町村の指定区域)に事務所があり、常時10人以上の従業員を使用する物品の販売、保管、賃貸、金融、保険、媒介、周旋、案内、広告、電気供給等の事業に従事する給料生活者や商業使用人を対象にする健康保険制度として制定された。」(p94)
「診療報酬について医師会と請負契約を締結せず、…、厚生大臣が定める点数表による点数単価方式(勤労定額方式)を採用した。」(p96)
その後、1942年の健康保険法改正では、その職員健康保険法と健康保険法を統合し、診療報酬の算定にあたっては、職員健康保険法で採用されていた勤労定額方式に全面的に移行したことが、『制度史』ならびに
『健康保険三十年史 下巻』(厚生省保険局編 全国社会保険協会連合会 1958)(以下『三十年史』という)に詳細な記述があります。その一部を抜粋します。
「昭和17年(1942年)…健康保険法と職員健康保険法を統合し、健康保険法とする」(『制度史』p101)
「診療報酬を公定制とし、医師会の意見をきいて厚生大臣が定めることとする」(『制度史』p101)
「昭和18年(1943年)2月厚生大臣によって診療報酬の算定に関する「点数単価表」が告示され、同年4月から実施された。」(『制度史』p104)
「昭和十七年に健康保険法が改正され、職員健康保険を統合するにあたつても、…、職員健康保険における勤労定額式報酬制が、ほとんどそのまま健康保険法にとりいれられ、昭和十八年四月一日から実施せられた。」(『三十年史』p549)
ただ、制度上は1942年の健康保険法改正によって移行がなされましたが、「敗戦によって健康保険制度は崩壊寸前の状態になった」(『制度史』p122)こともあり、戦後に諸制度が再建、整備されると共に機能を回復していった様子が各資料に記述されています。
[事例作成日:2017年5月16日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会保障 (364 8版)
- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 8版)
- 参考資料
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- 日本医療保険制度史 吉原/健二∥著 東洋経済新報社 1999.12
- 健康保険三十年史 下巻 厚生省保険局∥編 全国社会保険協会連合会 1958
- 日本医療史事典 日外アソシエーツ編集部∥編 日外アソシエーツ 2013.9
- 世界の診療報酬 加藤/智章‖編 法律文化社 2016.12
- 日本資本主義における国民医療の諸問題 林俊一著 医療図書出版社 1984.5
- キーワード
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- 健康保険(ケンコウホケン)
- 診療報酬(シンリョウホウシュウ)
- 医療保険(イリョウホケン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 法律,その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000217123