レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/05/24
- 登録日時
- 2017/05/27 00:30
- 更新日時
- 2017/06/09 11:58
- 管理番号
- R1001157
- 質問
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解決
春日八郎の「お富さん」という歌の1番にでてくる「げんやだな」とは何か知りたい。
- 回答
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「げんやだな」は「玄冶店」と書き、東京都中央区日本橋人形町2丁目にある寄席「末広」の横手にあたりの地名(通称)。
地名の由来となった「玄冶」は江戸時代初期の医師「岡本玄冶」のことで、徳川家光の病を治したことから千石の領地を得るに至り、江戸の邸宅跡地を「玄冶店」と呼ぶようになった。
- 回答プロセス
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1.当館所蔵CDの歌詞カードを確認。
『21世紀に残したい歌 2』幸田聡子/ヴァイオリン、日本コロムビア、2000
歌詞に「玄冶店」がでてくることを確認。
【曲目解説】より
1954年8月、春日八郎の歌で発売され空前の大ヒット(中略)四代目芳村伊三郎がモデルと言われる与三郎とお富のラブロマンスを一立斎文庫が講談にしたて、嘉永6年三世瀬川如皐(じょこう)がこれを歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」のテーマにしました。玄冶店は人形町2丁目、寄席「末広」の横手にあたり、戦前までは、いきな黒板塀をめぐらしたお囲いが多かったところです。
2.「玄冶店」をグーグルで検索
江戸時代の医師・岡本玄冶の名前を発見
3.『国史大辞典』で裏付け調査
「岡本玄冶(おかもとげんや)」より抜粋
[1587-1645 江戸時代前期の医家。初名は宗什、のちに諸品と改む。玄冶は通称。(中略)寛永十年、十四年にはともに将軍家光の病を治し、千石の領地を得るに至る。常に京都と江戸との間を往復し、京都に在る時はしばしば天皇の病気を診療した。江戸の邸宅を今の中央区日本橋人形町付近に賜わり、いわゆる玄冶店の名の起こりをなした。]
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 国史大辞典 2 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980.7 210.033 4-642-00502-1 , ISBN 4-642-00502-1 (P757)
- 21世紀に残したい歌 2 幸田 聡子/ヴァイオリン 日本コロムビア 2000.2 A260 COCQ-83293
- キーワード
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- 玄冶店
- 岡本玄冶
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000216606