レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年08月20日
- 登録日時
- 2017/01/26 11:55
- 更新日時
- 2017/03/15 11:52
- 管理番号
- 埼熊-2016-091
- 質問
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解決
「奈良郷」という地名があったと思うが、そこが現在どうなっているか知りたい。
- 回答
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以下2点の資料に「奈良郷」の地名が見られたため紹介した。
『埼玉県地名誌 名義の研究』(韮塚一三郎著 北辰図書 1969)
p348-349「奈良村」の項に「奈良は古くは奈良郷(あるいは原ノ郷)玉井庄忍領に属し、武蔵七党横山党の奈良氏の在所である。」とある。
『埼玉県市町村合併史 下巻』(埼玉県地方課編著 埼玉県 1962)
p44 熊谷町「奈良村」の項に、「これら五村中四方寺を除く四村は、弘治年間奈良郷を分割して先ず上奈良、中奈良の二村を造成し、(以下略)」とあり、弘治年間に奈良郷の名称が使われていたことがわかる。
「奈良村」は明治22年から昭和29年の自治体名で、昭和29年に熊谷市に編入し、各大字(上奈良・中奈良・下奈良)は、同市の大字として存続している。また、「奈良村」については、『大里郡郷土誌』の「第十三章 奈良村」(p275-284)に、まとまった記述が見られる。
- 回答プロセス
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自館所蔵資料を確認する。
以下の資料に、「奈良郷」は見られなかったが「奈良」の地名の記載確認ができた。
『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 第11巻』(平凡社 1993)
索引に奈良村(熊谷市)あり。「熊谷市」の項目中に以下の記述あり。
p838「〔原始・古代〕「和名抄」にみえる郷名のうち(略)幡羅郡のうち上秦(かみつはた)郷は上奈良付近、下秦郷は下奈良・上中条・肥塚付近(略)にそれぞれ比定されている。(略)「奈良(ナラノ)神社」は中奈良に比定社がある。」(中略)「〔中世〕熊谷郷は熊谷氏の名字の地で、(略)熊谷氏のほかにも市域には多くの武士が割拠し、そのおもなものとして久下郷の久下氏、中条保の中条氏、成田(なりた)郷を本領とした成田氏、同氏の一族とみられる別符(べっぷ)郷の別符氏や玉井氏・奈良氏、枇塚郷の肥塚氏などがいた。」
p855「上奈良村(現 熊谷市上奈良)」
「幡羅郡忍領に所属(風土記稿)。(中略)かつては奈良村のうちで、成田氏一族といわれる奈良氏の苗字の地とされ、成田系図(龍淵寺蔵)によると成田氏の祖助高の子高長が奈良三郎を称している。(後略)」
p855「中奈良村(現 熊谷市中奈良)」
p856「奈良新田(現 熊谷市奈良新田)」
p856「下奈良村(現 熊谷市下奈良)」あり。
奈良郷の記述はないが、原郷については、p833に「原ノ郷村(現 深谷市原郷・常盤町・稲荷町北・稲荷町1丁目)」とあり。
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1980)
p639「なら 奈良〈熊谷市〉」
「戦国期に見える地名。幡羅郡のうち。鎌倉期の武士奈良氏の出身地とされるが、地名としては新しい。」
p640「ならちょう 奈良町<大宮市>」
「昭和43年~現在の大宮市の町名。もとは大字奈良瀬戸。」
「ならせど 奈良瀬戸<大宮市>」
「奈良瀬戸村 江戸期~明治22年の村名。足立郡大谷領のうち。古くは吉野領に属し、岩付太田氏の領地と伝える。」
p641「奈良村<熊谷市>」
「明治22年~昭和29年の自治体名。(中略)はじめ幡羅郡、明治29年大里郡に所属。下奈良村・中奈良村・上奈良村・奈良新田・四方寺村の5か村が合併して成立。」とあり。
『新編武蔵風土記稿 第11巻』(雄山閣 1981)
p219 「上奈良村」
「上奈良村は原ノ郷玉井庄忍領に属せり、今隣村中奈良村の内に奈良神社あり、(略)」
p220 「中奈良村」
「中奈良村は郷庄領の唱(略)前村に同じ(略)」
p223 「下奈良村」
「下奈良村は郷庄領の唱(略)前村に同じ(略)」
『新編埼玉県史 通史編 3 近世』(埼玉県編 埼玉県 1988)
p163「1-60 慶長期(開幕以後)現存検地帳一覧」No.9に「検地年月日:慶長12.8.2~8.14、郷:原、写、現存冊:21(屋敷帳1)、原冊:21、面積表示:畝、田畑間数:×」とあり。
『関東甲豆郷帳 日本史料選書 27』(関東近世史研究会校訂 近藤出版社 1988)
p133-134「元禄郷帳」の武蔵国幡羅郡に、「下奈良村」「中奈良新田村」「中奈良村」「上奈良村」あり。
p497「天保郷帳」の武蔵国幡羅郡に、「下奈良村」「中奈良村新田」「中奈良村」「上奈良村」あり。
『武蔵田園簿 日本史料選書 15』(北島正元校訂 近藤出版社 1977)
p192に「下奈良村」「中奈良新田」「上奈良村」あり。
『熊谷市史 前篇』(熊谷市史編纂委員会編 熊谷市 1963)
p214「上秦郡」の項に、「国郡志は、秦と奈とは文字の誤りで、上奈良の地域を充て地理志料は奈良から 秦村葛和田地方にわたる地域とする。他にも説があるが、要するに現在の妻沼町長井、秦、熊谷市奈良にわたる大部分の地域と見るべきである。」とあり。
p316-317「上奈良」「中奈良」「下奈良」「奈良新田」の項あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県地名誌 名義の研究』(韮塚一三郎著 北辰図書 1969)
- 『埼玉県市町村合併史 下巻』(埼玉県地方課編著 埼玉県 1962)
- キーワード
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- 奈良郷
- 熊谷市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000207374