○1~4については、以下の新聞記事のみ確認。
(秋田魁新報)
「文部省自慢の海王丸」1930年6月30日朝刊3面
(写真)海王丸と臨場の田中文相
○質問5について、
『秋田代議士物語 帝国議会を生きた人々』杉淵廣/著 秋田魁新報社 1989 田中隆三p194-202 より、
「田中が息を引き取ったのは東京・麻布の自宅であった。「法雲院殿隆峰説三大居士」となり、東京で葬儀の後、田中家の墓所がある秋田市・麟勝院に葬られた。三人の男子があった。そろって東京帝国大学を出た。家督は長男の隆一郎が相続したが、今は隆一郎の孫(長女の長男)芳夫が当主。芳夫は血を引くのか東京で代議士秘書をしている。」
*麟勝院の連絡先
〒0100922 秋田県秋田市旭北栄町6-35
℡:018-862-3298
「秋田県人雑誌」1932年1月 第5巻1号に住所の記載あり。
→東京市麻布区仲ノ町一二 電話 赤坂一二〇〇番
*田中隆三は早くに両親を亡くし、来秋の際は、援助してもらっていた小堀家(秋田市の資産家・最初の妻の実家)に寄っていた(『秋田の先覚 3』p85より)
以下、田中隆三についての所蔵資料
・『田中隆三出世鑑 町田忠治出世鑑』村井良八/著 石川書房 1931
・『ふるさとのひと 秋田に生まれた先覚者たち』秋田県警察本部教養課/編 秋田県警察本部教養課 1959
田中隆三p193-210
・『秋田の先覚 3 近代秋田をつちかった人びと』秋田県総務部秘書広報課/編 秋田県 1970
田中隆三p81-95
・『秋田人名大事典』秋田魁新報社/編 1974
田中隆三p377-378
・『秋高百年史』秋高創立百周年記念事業実行委員会「秋高百年史」編纂委員会/編 秋田県立秋田高等学校同窓会 1973
田中隆三p33-34 町田・田中両先輩の入閣p247-248
・「秋田県人雑誌」
・1929年12月 第2巻11号 金野 貞治「田中文相閣下」p2-4
(写真)初のお國入りの文部大臣田中隆三氏・令夫人(上野駅にて)
・1930年1月 第3巻1号 安達 元之助「文相随伴記」p14-17
(写真)田中文部大臣親任祝賀会・座して右より町田忠治氏、石井忠利氏、藤田あぐり女史、溝口恒輔氏、田中隆三氏
・1930年12月 第3巻12号 榎本 秋村「田中文相に望む」p2-7
・「秋田県立博物館研究報告」第三十四号 秋田県立博物館/編 秋田県立博物館 2009
新野直吉「名誉館長館話実施報告抄 田中隆三・栗盛吉右衛門・橋本宗彦・塩田団平・松田解子・森川源三郎」p29-32
・「あきた青年広論」3号 あきた青年広論編集グループ/編 秋田青年会館 1979
伊多波 英夫「先覚・若き日の面影 内容:文部大臣・枢密院顧問官 田中隆三」p34-36
・「月刊さきがけ」5巻12号 秋田魁新報社/編 秋田魁新報社 1949
鷲尾 温軒「秋田人物小景 田中隆三」p8-9
・秋田魁新報には以下の田中隆三記事もあり
「後任文相に田中隆三氏内奏」 1929年11月30日 夕刊 1面
「田中隆三氏略歴」 1929年11月30日 夕刊 1面
「文部大臣田中隆三氏 1」 1929年11月30日 朝刊 2面
「文部大臣田中隆三氏 2」 1929年12月1日 朝刊 2面
「田中新文相論」 1929年12月2日 朝刊 2面
・HP
秋田県立秋田高等学校同窓会 田中隆三(『秋高百年史』と記載内容同じ)
→
http://akitahs-doso.jp/libra/9*インターネット情報は2017年1月16日内容確認