レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年12月23日
- 登録日時
- 2016/12/27 20:06
- 更新日時
- 2020/10/06 18:41
- 管理番号
- 760
- 質問
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解決
2016年12月20日の産経新聞(朝刊)掲載の「戦後71年 楠木正成考」で、赤松円心(則村)が
離反するきっかけについての解説記事に『太平記』の「されば、建武の乱に、俄に円心心替はりして、朝敵になりたりしも、この恨みとぞ聞こえし」が引用されていた。この文の原文と現代語訳が見たい。
- 回答
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『太平記』巻第十二「安鎮国家の法の事付けたり諸大将恩賞の事」に該当箇所あり。
・『新編日本古典文学全集 55 太平記 2』長谷川端/校注・訳 小学館 1996年(153250617)
・『新潮日本古典集成 太平記 二』山下宏明/校注 新潮社 1980年(150570129)など
- 回答プロセス
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最初は「太平記で赤松円心が出てくる」場面を探しているとのことだったので、本館所蔵の(原文と現代語訳の両方掲載されている)『太平記』をお出ししたところ、探しているのは「円心が天皇を裏切る」場面だと言われた。
※『新編日本古典文学全集』56の巻末付録に『太平記』(巻第二十~第三十)で記述されている事柄を年代順に配列した「太平記年表」があり、巻第二十七の記事外の出来事として赤松円心が観応元年に没したと記されているので、円心が登場するのは巻第二十七までだと分かる
はっきり“裏切る”と描写された場面の見当がつかず、どうしてこの場面をお探しなのか、など依頼者に掘り下げて尋ねてみると「新聞で書かれているのを見た」からだと言われたので、それはいつの新聞かを尋ねると「12月20日の産経新聞朝刊」とのこと。
新聞記事を確認すると「されば、建武の乱に、俄に円心心替はりして、朝敵になりたりしも、この恨みとぞ聞こえし」と引用されていた。その前に「公家の輩、二ヶ国、三ヶ国給はりけるに、さしもの軍忠なりける赤松入道円心には、佐用庄一所を行はれて、播磨の守護職をば幾程なくして召し返されてけり」との文も引用されていたことから、該当する巻の見当がついた。
※北条残党狩りの後、論功行賞が実施されたが、円心はその軍功に見合った恩賞どころか逆に播磨の守護職をとりあげられてしまった
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (91)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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赤松則村 建治3(1277)年~観応1/正平5(1350)年
鎌倉時代後期の・南北朝時代の武将、法名円心、播磨守護(人物レファレンス事典より)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000205182