① 桑名市内の公立小学校に公立幼稚園が併設された理由について書かれた資料としては以下のようなものがありました。
・『桑名市幼稚園の史的展望 2』桑名市教育研究所/編 桑名市教育研究所 1977
p5 「(1)小学校併設5園の設立と焼失」
「昭和20年4月、今にして思えばすでにもう戦局は、末期的症状を呈していた頃、桑名では第三、第四、第五、修徳、大成の各小学校に併設して5つの幼稚園がもうけられたのである。」
(元桑名市学務課長の本庄光次郎氏からの寄稿)
「(前略)桑名市出身の立派な教育者、水谷亮一先生のお話によると、昭和20年4月、当時学徒動員で各学校の高等科生徒が工場に働きに出て、校舎にあき教室が出来たのを利用して、従来幼稚園のなかった他の5校にもこれを併設せられたと言うことであるから、かねてから幼稚園教育の重要なこと、それも各小学校に併設するのが最もよいと考えていた私が、校長先生方の熱心な要望や、父兄の希望にこたえて、その設立に力をいたしたのであったかと考える―――しかしこれが幼稚園保育の大切なことを叫ばれる今日にいたって、全国各市の保育関係者から、桑名市はよくも早くから各学校に幼稚園を併設せられたものだと称讃を受けるにいたったとは、全く夢のような話である。」
・『三重県幼児教育史』萩 吉康/著 皇学館大学出版部 1988
p148 「第四章 戦時下における幼児教育」
「(前略)桑名市では、昭和二十年四月に、当時の小学校高学年生は、軍需工場などに動員で出向き、そこの学校の校舎が空いたため、急拠幼稚園を併設した。(この併設の理由は明らかでないが、多分に空襲の危険から幼児を守る必要性ともいわれている。)」
② ①でご紹介した資料のほか、以下の資料を確認しましたが、小学生と幼稚園児との交流について書かれたものはありませんでした。
・『桑名市史 本編』近藤 杢/編,平岡 潤/校補 桑名市教育委員会 1987
・『桑名市史 続編』桑名市教育委員会/編纂 桑名市教育委員会 1987
・『桑名市幼稚園の史的展望 1』桑名市教育研究所/編 桑名市教育研究所 1977
・『精義百年史』桑名市立精義小学校創立百年記念会/編 桑名市立精義小学校 1975
・『城東』桑名市立城東小学校 1973
・『七和小学校百年史』桑名市立七和小学校創立百周年記念事業実行委員会 1976
・『立教百年史』桑名市立立教小学校 1973
・『益世』桑名市立益世小学校 1986
・『日進百年』桑名市立日進小学校/編 桑名市立日進小学校 1987
・『百有八年のあゆみ』桑名市立城南小学校 1980
・桑名市教育研究所 研究紀要 第77~97,100~104,110,135集