レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年06月08日
- 登録日時
- 2016/08/05 16:32
- 更新日時
- 2016/08/12 19:49
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2299
- 質問
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解決
美濃国に、百済系渡来人が存在したことをうかがわせる史跡や伝承があるか。
- 回答
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県内の自治体史や『岐阜県の地名(日本歴史地名大系)』(平凡社,1989年刊)を参照したところ、百済系渡来人に関しては以下の記載があった。
1 岐阜県不破郡垂井町に大領神社(だいりょうじんじゃ)があり、祭神は壬申の乱で功績のあった大領宮勝木実(みやすぐりこのみ)とされている。この宮勝氏について『岐阜県史 通史編・古代』(岐阜県,1971年刊)では、『新撰姓氏録』載る不破勝氏、不破連氏とともに、「おなじ不破郡に定着した百済系の先進的な文化氏族とであったとしておくあたりが、一応穏当なのではなかろうか」(p.189)との見解を示している。
なお、上記『岐阜県史』によると『新撰姓氏録』には不破勝氏、不破連氏について、以下の記載があるとしている(p.188-189)。
---(引用始め)--------------------------
不破勝氏 百済国人渟武止等(ぬむしと)之後也。
不破連氏 百済国都慕(つぼ)王之後〓有(びゆう)王ヨリイヅル也。(※〓は「田」偏に「比」)
---(引用終わり)------------------------
2 正倉院に保存されている大宝2年(702年)の「御野国加毛郡半布里(みののくにかものこおりはにゅうのさと)戸籍」は現在の岐阜県加茂郡富加町、美濃加茂市にあたる地域の戸籍で、この戸籍に載っている渡来人の中に不破勝族(ふわのすぐりのやから)、各牟勝族(かかみのすぐりのやから)がある。『富加町史 下』(富加町,1980年刊)では、「勝(村主 すぐり)と言うのは百済渡来人に授けられた姓であり、渡来人中の有力者を示すものである」としている(p.137)。
3 『岐阜県の地名(日本歴史地名大系)』には以下の項目に記載がある。
・「栗原郷」の項目(p.60)
---(引用始め)--------------------------
栗原郷(くりはらごう)「和名抄」所載の郷。現垂井町に栗原の大字が残り、同地を中心とした垂井町南部一帯が郷域と考えられる。 …(中略)… 栗原の初見は「続日本紀」天応元年(七八一)七月十六日条にみられる右京人正六位上栗原勝子公など一八名に中臣栗原連の姓を与えた記事である。子公の申請によると、子公らの祖である伊賀都臣は中臣連の遠祖にあたる天御中主命の二〇世の孫で、中臣連氏とは同族関係にあり、神功皇后のとき使者となって百済に渡り、そこで彼の地の女性と結婚し本大臣(一説に日本大臣)という男子が生まれた。その子が帰朝した時に美濃国不破郡栗原の地を賜り、居所にちなんで栗原勝姓を名乗ったとしている。
---(引用終わり)------------------------
・「遮那院跡」の項目(p.237)
---(引用始め)--------------------------
遮那院跡(しゃないんあと)[現]大垣市清水町 …(中略)… 白鳳期に牛屋の地に百済の王子沙門金珠が草創したと伝える。
---(引用終わり)------------------------
・「菅野神社」の項目(p.255)
---(引用始め)--------------------------
菅野神社(すがのじんじゃ)[現]大垣市興福地町 …(中略)… 「新撰美濃志」は「新撰姓氏録」に「菅野朝臣、同国(百済)都慕王十世孫貴首王之後也」とされるその氏人が美濃国に住んで祖神を祀った社とする。
---(引用終わり)------------------------
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000195632