川崎邸跡は、昭和31年から布引中学校へとなり、布引中学校が、山陽新幹線工事のため移転してから、その跡地は変遷が激しく断定は難しい。
参考資料
○川崎正蔵について
『造船王川崎正蔵の生涯』(PカワA 0012-943)
p199~ 明治18年頃から布引の土地に建てた本宅について載っている。大正15年に書かれた本邸敷地図あり。長春閣なども図にあり。加納町1丁目とあり。
p310 布引山徳光院などの図あり。
○地図上で川崎邸がわかるもの
『明治前期昭和前期 神戸都市地図』(GA 0012-988)
p47 「三宮 1万分の1地形図 昭和7年」に、川崎邸あり
○川崎邸のその後
『神戸市史 第三集 社会文化編」(HA 0012-3-3-2)
p314 「昭和14年神戸市が布引公園の開設、美術館(長春閣)を川崎家から買収し、美術館などの修理を行なった(戦時中は市長の公邸に使用していた)が、20年6月5日の空襲で10棟のうち茶室不動閣を残して焼失。」とあり。
○その後、川崎邸跡地は、神戸市立布引中学校となる。。
『神戸市立布引中学校 創立30周年記念誌』(0013-743)
p8 昭和30年頃、川崎邸跡地に布引中学校建築工事が着工、昭和31年
校舎竣工。
p14 昭和42頃~ 山陽新幹線工事のため移転(現在の新神戸駅の北東へ)
裏表紙 布引中学校の沿革について記載あり(『葺合ものがたり』0012-322
よりの引用)
○布引中学校の場所、その跡地と思われる場所は、次の地図で見ることができる。
『住宅地図』 葺合区 昭和31年 p1 布引中学
生田区 昭和43年 p52 布引中学
葺合区 昭和56年 p69 跡地周辺
中央区東部 昭和63年 p69 跡地周辺
(新神戸オリエンタルプラザ劇場が地図上に出現)
『2500分の1地形図 新神戸駅』(0012-362-62)
昭和49年から数年おきの変遷を見ることができる。
(布引中学は移転した跡だが、南にあった中央市民病院とその跡地は確認できる。)
------下記の情報提供をいただきました。(2022年11月22日確認、追記)------
国際日本文化研究センターの所蔵地図データベースに収録されていた
下記の地図にも川崎邸がありました。
国際日本文化研究センター
https://www.nichibun.ac.jp/データベース
https://www.nichibun.ac.jp/ja/db/所蔵地図データベース
https://www.nichibun.ac.jp/ja/db/category/syozou-map/資料名 神戸都市計畫圖
読み コウベ トシ ケイカクズ
題箋・内題など (内題)神戸都市計畫圖 縮尺壹萬分一
内容年代(和暦) 大正15
内容年代(西暦) 1926
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/zoomify/mapview.php?m=002472124_o_2