レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年03月19日
- 登録日時
- 2016/03/19 18:13
- 更新日時
- 2017/07/28 15:18
- 管理番号
- 塩尻345
- 質問
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解決
塩尻市の郷原・堅石地区の畑や家の境界について記述がある資料を見たい。自分で見て写真も撮ってきたが、イチイや桑の木、マサキがほとんどだった。そのことを証明できる資料がほしい。(それをもとに、何かを書くのか、説明に使うようです。)
後日、再度ご来館。もう少し桑や養蚕について記載されている資料がほしい。由来や理由について。
- 回答
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【資料1】p.46 桑がどのように植えられていたのかが分かる記述あり 「3-4-3郷原の産業 享保2年(1802)の郷原町村赤羽家では…桑苗4680本を買い入れて…町内に250本、原新田・堅石町・村井町各村に50~200本ほど配っている。これらの桑の多くは屋敷地内に仕付けられ、そのほかには屋敷地周辺、畑の畔、土手などに植えられており、桑畑の形態をとっていないところから、恒常的な経営とまではいってなかったようである。」
p.72-73 屋敷割の図、いちいの垣根についての記述あり「4-1-9墓 屋敷続きの田んぼの一番奥側の隅には、ウラノオハカと呼ぶ墓地をもつ家もある。…各家のお墓には大木を植えてある風景が見られたが、日陰になってしまうことからミネゾ(いちい)などで垣根を造るようになってきた」
【資料2】p. 278 養蚕の衰退の項目に、野菜果樹栽培などが盛んになるとともに廃れ、「当時の桑は畑のクロやハバなどに残されている。」という記述あり
- 回答プロセス
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①郷土の棚の資料を確認し、【資料1】を確認する
②以前郷原地区の養蚕についてのレファレンスを受けたことがあったため、レファレンス協同データベースの以前の記事を検索しやはり【資料1】と塩尻市誌を確認する。塩尻市誌には記述なし
③後日、再度のお問い合わせの際に、【資料2】を再度確認したところ、上記記述を発見した。
- 事前調査事項
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以前娘さんにお願いして同じような問い合わせをしたところ、村の境界にあるのは「石」という回答が返ってきた。
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『ふれあいの郷 ごうばら : 郷原宿開設400年記念誌』郷原宿を愛する会 2014.3
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【資料2】塩尻市誌編纂委員会 編 , 塩尻市. 塩尻市誌 第4巻(民俗・文化財・史資料等). 塩尻市, 1993.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002266066-00
- キーワード
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- 塩尻市-郷原-堅石
- 桑
- イチイ
- 養蚕
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000189643