レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年12月28日
- 登録日時
- 2016/02/02 18:48
- 更新日時
- 2016/03/30 20:28
- 管理番号
- 名古屋市千-2015-015
- 質問
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未解決
伊藤和四五郎が昭和6年に建立した十一面観世音立像が、千種区唐山にあった。昭和10年当時、伊藤和四五郎は土地を買い、護国山瑞雲寺をここへ移す計画もあったようだが、その経緯と、その後寺がどうなったかを知りたい。
- 回答
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質問者の手持ちの資料にあった三和(名古屋コーチンの)ホームページ上の絵図(http://www.sanwa-grp.co.jp/other/archivement)(2016年2月2日最終確認)にある「大観音」を、当時の地図、絵図で確認するために、下記の資料を鶴舞中央図書館に確認してもらった。
【1】田代土地区画整理組合鳥瞰図A295/00289/
【2】名古屋市田代土地区画整理組合地区確定図A51/00425/
【3】名古屋市土地宝典 東区千種区之部[1937年]A295/00129/2-37 (いずれも鶴舞中央図書館蔵)
結果、【1】は三和ホームページの絵図と同じものだった。
【2】【3】ともに、唐山あたりに寺があったという印はない。
また、
【4】大正昭和名古屋市史 第8巻 NA25/00018/8のP425に掲載されている「東山動物園鳥瞰図」のもとになる資料が鶴舞中央図書館にないか確認したところ、所蔵していなかった。
【5】『戦乱の海を渡った二つの観音様』(森哲郎 著 , 長岡進 監修 ,鳥影社, 2002)に十一面観世音立像建立の経緯が書かれており、p53に「覚王山にあった大竜寺門前近くに大観音像を制作するアトリエを建てたのです」、p57に「「当方に寄贈をという要望も多数あり、和四五郎は市に寄贈を申し出たのですが、管理に多額な費用がかかることから市は辞退しました。昭和12年、東山に一万坪の土地を買い、仮安置所を建てて観音像を移し、後に、十一面観音を本尊とする瑞雲寺をこの地に建立したのです」と記載されています。その後寺がどうなったかについては書かれていません。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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※十一面観世音立像は、昭和16年に南京市(毘慮寺 びるじ)へ寄贈された。返礼として、南京市毘盧寺の千手観音が名古屋へ贈られ、現在は平和公園の平和堂に安置され、その経緯は平和堂の碑に書かれている。
- NDC
- 参考資料
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森哲郎 著 , 長岡進 監修 , 森, 哲郎, 1928-2008 , 長岡, 進, 1944-. 戦乱の海を渡った二つの観音様 : ビジュアル・ドキュメント. 鳥影社, 2002.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003593117-00 , ISBN 4886297072
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森哲郎 著 , 長岡進 監修 , 森, 哲郎, 1928-2008 , 長岡, 進, 1944-. 戦乱の海を渡った二つの観音様 : ビジュアル・ドキュメント. 鳥影社, 2002.
- キーワード
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- 十一面観世音立像
- 平和堂
- 伊藤和四五郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000187786