レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年9月9日
- 登録日時
- 2015/10/28 17:27
- 更新日時
- 2016/02/09 11:23
- 管理番号
- 秋田-1884
- 質問
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解決
15世紀中ごろの南部氏と秋田安藤氏、小野寺氏の争いについて、大曲で郡代久慈政継が討死、仙北金沢で金沢家光自害など南部勢力の敗退があった。
大曲仙北、久慈、津軽の繋がりを調べるため、秋田県側の文献では南部氏の争乱をどのように記述しているか。
- 回答
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南部氏の記述を確認した文献は下記の通り。
1.『秋田県史 第一巻 古代中世編』秋田県/編、1977 【貸出可】
・p352~353 第四編 中世の秋田 /一 中世秋田の概観
(一部抜粋)その後、東北の内乱をきっかけに、鹿角郡は南部氏が支配するようになり、成田氏をはじめとする鹿角四氏は、南部氏の家臣団に編入された。
・p357 比内郡→「南部氏の勢力が侵入していた」と簡潔に記載あり。
・p394~396 第一章 鎌倉幕府の成立と武士団の移住/成田・安保・奈良・秋元氏の鹿角郡移住
→鹿角郡の南部氏の支配下におかれた流れを簡潔に記載。
・p421~423 第三章 室町時代の秋田地方 / 南部氏の秋田侵入
(一部抜粋)→南部氏の秋田侵入について詳細に記述あり。
室町時代には、しばしば南部氏が秋田の県南部に侵入した。室町期の東北地方で最も力のあった大名は南部氏である。中世の南部氏は、初代光行から数えて十三代目の守行と十四代目の義政の時代が特に強大であった。
・p426~428 第二節 群雄の抗争 / 東北の戦国大名
(一部抜粋)→戦国時代の南部氏・安東氏・小野寺氏・久慈氏について簡潔に記載あり。
津軽の地方は、室町時代に入って南部氏の侵入を受け、その地方の豪族であった安東氏も、文亀・永正(1501~1520)の頃、津軽の地を失った。これにかわって、先に延徳の頃(1489~91)南部信時から鼻和一郡を与えられていた久慈氏が、この地方に勢力を伸ばすことになった。
戦国の頃は、金沢氏と姓を改め、鼻和郡に種里城を築いて大浦に住み南部氏と対抗した。
2.『横手市史 原始・古代・中世』横手市/編、2008 【貸出可】
p419~420 第三章 南北朝・室町時代の出羽国と横手盆地
雄勝屋形小野寺氏
→小野寺氏についての詳細、南部氏と対立について簡潔に記載あり。
3.『秋田「安東氏」研究ノート』渋谷鉄五郎/著、無明舎出版、1988 【貸出可】
→こちらの本は安東氏、南部氏の戦について詳細に記載あり。
p76~83 宿敵南部氏との交戦
南部氏との戦、侵攻と南部氏金沢家や安東家について詳細の記述あり。
p84~87 「南部氏による北方の危惧を檜山安東氏によって防ぐことに成功した~」と簡潔に記載あり。
4.『中世の秋田』塩谷順耳/著、秋田魁新報、1982 【貸出可】
p107~109 南部氏の西進
→南部氏と安東氏・小野寺氏の争乱について詳細に記載あり。
- 回答プロセス
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①秋田県史、市町村史を調べる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
- キーワード
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- 秋田県--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 受付方法:メール
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000183023